小川郷太郎の「日本と世界」

デンマークの教え: 父親の日常的育児参画こそ、少子化対策の特効薬

各国間の出生率格差の背景

外務省を2年ほど前に退官したが、約40年在職した間に政治経済の制度や文化の異なる8カ国に勤務した。外国に住むと、日本にいるだけでは気がつかない面白い多くのことや様々な視点を発見する。フランスやデンマークでの生活からは、人間の生き方について大いなる示唆を得た。フィリピン、ホノルル、韓国や旧ソ連、リトアニアでの勤務を通じて、戦争や植民地化に由来する歴史問題、国際関係における加害者と被害者の問題などについて日本を振り返りながら考えさせられた。
2006年、最後の外国勤務を終えて日本に戻ると、直面する大きな課題の前でほとんど実効的な政策転換を図れない我が国の政治状況や議論の内容に大いに歯痒さを覚えた。日本を変革するうえで外国には参考になることも少なくない。とくに、つい最近まで滞在したデンマークでは、デンマーク人の父親たちが日常的に育児に関わる姿に目を見張り、そして彼らがむしろ幸せそうに育児を楽しんでいるような雰囲気に強く印象付けられた。因みに、日本女性の合計特殊出生率は1.3人台であるのに対し、デンマークでは約1.8人、フランスのそれは1.9人を超えて2人に近付いている。両国における女性の労働市場参入率は、それぞれ、女性就労人口の約75%、80%強である。こうした数字の背景には、両国がそれぞれ効果的な育児支援の政策を採っていることもあるが、より大きな要因として、仕事に対する価値観や生活の質を高め個人の幸福を追求する姿勢、最近の言葉でいえば、「ワーク・ライフ・バランス」が日本と大きく異なることがあるように思われる。
政権交代をかけた総選挙が行われたが、少子化対策としての各党の公約も子供や家庭への財政支援が中心であり、父親の育児参画を支援する発想は少ない。少子化の問題は真に深刻であり、日本の国力を将来にわたって削ぐ恐れがある。改善を図ろうとするなら、発想の根本的な転換が必要である。その場合、ヨーロッパ人の生き方を参考とすることが有益である。

デンマークという国

デンマークは小さな国である。人口は僅か540万人、グリーンランドなどの自治領を除く本土面積は九州ほどに過ぎない。最高峰が172メートルの「山」なので国土全体はゆったりとして、国土と人口のバランスが頗る良い。田園を走ると豊かなうねりのある農地や森や湖沼の美しさに目を奪われ、ところどころの木陰に現れるお伽の国のや部下の間も友達同士のような話し方で会話が進む。自転車が普及していて市内や郊外にも幅広い自転車専用道路が走っている。自転車通勤者も多く、ときには閣僚や高級官僚も自転車で職場に向う。格式ばらず実務的なので、私も大使として着任後、多くの官民要人に表敬に出かけたが、相手は形式的な挨拶は抜きで直ぐ実質的な話に入ってくれた。
開かれた平等社会の観念も徹底している。私の経験の中でもひときわ驚いたことがある。ある日、日本でも良く知られたあるデンマークの有名企業の創立100周年の記念晩餐会に妻とともに招かれたのであるが、なぜか、会社の首脳陣や主賓が座る丸いメインテーブルに私達の名札が置かれていた。あとになって日本人が同社の製品の最大の顧客だからだろうと理解したが、ふとテーブルの向かい側を見ると、何とデンマーク皇太子殿下(当時は独身)が立っていて隣の女性客とニコニコしながら会話を楽しんでおられた。私はやや直立不動に身を正して挨拶に向かおうとした。良く見ると、皇太子の周囲には側近の姿はひとりもなく、会話の相手の女性も実に気楽に、恰も友人同士のように話している。主催者である会社の社長や会長はどうしているかと見ると、皇太子には一切気を使う様子もなく、隣の人たちとのお喋りに耽っていた。デンマークでは、王室も積極的にデンマーク企業の振興に一役買っているので一企業の行事にもお出ましになる。また、王室のメンバーでも単独で街に出ることもあり、市民も気楽に声をかけることもできるという。王室のメンバーでさえ、このように自由に振舞い、国民も気楽に接することに象徴されるように、この国の社会は開放的で平等感が強い。
人口が少ないせいもあろうが、デンマークの官庁や企業の組織は日本と比べ相当簡素である。日本に比し、一つの案件に関わる人の数ははるかに少なく、ひとりの担当者が案件処理に大きな責任を持ち、少数の上司や関係部局と協議しながら物事を進めて行く度合いが大きい。決定過程の階層も余り複雑ではないようで、私は仕事のうえで随分デンマーク外務省や他の官民の組織と協議をしたが、多くの場合、先方の反応や結論はかなり迅速であった。デンマーク社会は全体として簡素で透明性があり、効率的に見える。

デンマーク人の生き様:家庭中心と男女協働

3年近いデンマークの生活の中でもっとも強い印象を持ったのは彼らの生き様であり、とりわけ、デンマーク人が家族中心の生活を送っていることと父親が子育てに日常的に参画しているという事実である。
デンマークでは、多くの職場で終業時間が来ると競い合うかのように定時退社して、家路を急ぐ。「フレックスタイム」を利用して終業時間前に仕事を切り上げて子供を幼稚園などに迎えに行く母親や父親もいる。私が勤務していた日本大使館で働くデンマーク人職員も、5時を待って用意していたかのようにいなくなる。仕事が立て込んでいるときには、もうちょっと残業してもらいたいと思うのだが、社会のしきたりだから仕方がない。彼らは年間の有給休暇は計画的に完全にしっかりとるし、急に風邪をひいたとかの理由で2~3日休むこともよくある。3日未満なら医師の証明もなしに休める「病欠」という権利があるらしい。私の運転手を勤めていた屈強そうに見える男は、しばしば月曜日になると「病欠」をとった。その頻度が多く業務に差し支えるので配置転換したところ、本人は大使の運転手としての超過勤務時間が大幅に減って大いに喜んでいた。超勤手当は無くなり収入は減っても、釣りを楽しむなど自由な時間が増えるからである。
産前産後の休暇や育児休暇も夫婦であわせて52週間取れるので、出産する女性職員は1年ほど休むし、乳幼児を持つ男子職員で何週間かの育児休暇をとる例はけして珍しくはない。長期休暇をとって空席になるポストには職場内で何とかやりくりして補うか、臨時職員を雇用して対応せざるを得ない。余談になるが、我が大使館でも優秀な女性職員二人がほぼ同時期に1年の出産・育児休暇をとったので、二人の臨時職員が必要になったが、予算削減のため、外務本省からは1名の臨時採用しか認められず大変苦労したこともある。雇用主にとっては負担が大きい制度ではあるが、考えてみると、個別企業にとっても長期的に見れば優秀な女性職員を長く維持できることになり、社会全体から見ても女性の労働市場への参入を拡大し、なによりも出生率向上に貢献することになる。
定時に退社して家路を急ぎ、休暇をフル活用するデンマーク人のこのような生活態度はどのようなところから来るのか。日本の場合と比べて、仕事に対する価値観が違うことがまず挙げられるが、それは生活の質を高め幸福を享受せんとする姿勢の違いでもあり、つまるところ、日常の生活で仕事と生活のいずれかにより大きな価値を付与するかの違いに帰するのではないかと思う。しかしそれは、仕事か生活か、の二者択一ではない。デンマーク人だって仕事に価値や生きがいを見出し就業時間内で精を出して働くのが普通である。日本人も忙しい中で、なんとか良い生活を享受しようと努めている。ただデンマークの例では、生活の享受にずっと大きい価値を置くので、定時が来たら仕事を切り上げて家に帰るのである。職場の上層部も中間層も若手も、社会の大部分の人がそのように考えて行動しているので、定時退社のしきたりが確立するのである。
因みに、超過勤務が圧倒的に少ないデンマーク企業の国際競争力は弱いかというと、けしてそうではない。人口540万人のデンマークでも世界市場の2割から6~7割のシェアーを取っている世界的企業が十指に余るほどある。その秘訣は、競争の激しい分野を避けて例えば、インシュリンや人口肛門などの医薬・医療品、補聴器、各種電動モーター、風力発電タービン、独特のデザインを誇る音響機器や家具等々、所謂「ニッチ」な分野で技術を開発し世界に販路を求めて成功しているのである。簡素で効率的な組織や決定過程が生産性向上に寄与し世界企業に押し上げていく。
仕事より生活を重視するデンマーク人は寄り道もせず家に帰る人が多い。家庭では通常母親も職を持っているので、朝の忙しい出勤時間から夕食の支度や子供の世話などに、父親、母親が協働して当たる。幼稚園への送り迎えや、買い物、食事の支度に父親が当たる度合いが大きいのが特色である。夫婦の間で、夫が先に帰宅すれば、子供の世話や夕食の支度をして妻を待つ。食事はかなり簡素で、出来合いのおかずや短時間で用意できるもので済ますことも多い。でも家族がいつも一緒で子供と父親や母親との会話が弾む。時には友人同士で互いに家に招き合って、親しい者同士の会話を楽しむのである。家にはいつも小さな蝋燭をたくさん灯していて、その灯が醸しだす暖かい家庭的な雰囲気(この状況をデンマーク人は「ヒュッゲ」と呼んで誇りにしている)の中で家族や友人が、人間的な絆を確かめ合うのである。毎年、日本人の若い農業従事者のグループがデンマークの農家に住み込んで1年ぐらい農業研修を行うプログラムがあるが、私は彼らからも、週末も含めいつも家族が一緒にいる生活ぶりに驚いた、との感想を聞いた事がある。デンマークでは最近に日本でしばしば耳にする子供の陰湿な事件に類するニュースは殆ど聞かなかった。家族が常に顔をあわせ、語らい、互いに心情や置かれた状況を知って助け合っていける状況にあるのだろう。

父親の日常的育児参画


家庭中心のデンマーク人の生活の中で日本と違う特筆すべきことは、父親が日常的に育児に関わっていることである。毎朝私は通勤の車窓から、母親だけでなく父親も幼い子供を自転車に乗せたり、あるいは自転車の前か後ろに箱型の台車とか小型自転車を付けてそこに子供を乗せて幼稚園や学校に送っていく姿を見た。平日の夕方や週末にも父親が乳母車を押して街を歩いている姿を見ることも多い。乳母車を押して走りながらジョッギングをしているお父さんもいる。日本と違ってそうしていることを照れくさがったりする様子はなく、むしろ子供と一緒にいて幸せそうですらある。もちろん男女間で差はあるが、デンマークでは、男も女も同じように仕事をして家事をする。その背景に通常定時に退社する社会の慣行がある。
やや断片的ではあるが、入手できた若干の数字を通してデンマーク人夫婦の家事、育児状況を見てみよう。前にも述べたように、デンマークの制度上、夫婦で合わせて52週の産休と育休を取ることが出来る。少し古い数字ではあるが、実際の産休・育休の平均取得日数は、夫婦で合計290日(約41週間)であるが、そのうち男性は平均で18日の育児休暇をとる(2004年)。この数字は、私の印象に比して少ないが、男性の育児休暇取得を奨励している企業の一つであるTDCというデンマークの大手通信会社の例では、男性の育児休暇取得率は60%で、平均休暇取得期間は7.9週という数字もある。子供の送り迎え、夕食の支度などの観点から男女別家事等従事時間を見ると、1981年には男性が1時間38分、女性が3時間03分であったのに対し、2001年には、男性が2時間26分、女性が3時間30分となっている。近年になり、男性の家事従事時間が増えていることがわかる。男女別育児従事時間数を見ると、男性が1時間12分、女性が2時間05分(2005年)となっている。育児時間の絶対数が余り長くないのは小さな子供を預かる各種の施設や制度があるからだろうと思うが、いずれにせよ、時間数にして男性が女性の半分以上の割で育児に従事している姿を知ることが出来る。そうしたことが可能になるのは、大多数の男性が残業を殆どせず家に帰って家事や育児をして働く妻を助けるからであり、そうした協働を当然のこととする社会の考え方がある。そしてその効用は、女性が子供を産んでも職場を維持することができることであり、この国の合計特殊出生率が、1.8人という結果である。そのせいか、デンマークでは大きなお腹を突き出して堂々と街を闊歩する妊婦の数がとても多いように感じた。
夫婦の協働による家庭生活の効用は、単に出生率の向上に留まらない。父親と子供の接触を通じて父親にとっては子供を一層よく理解し、子供は父親からの影響を受ける程度が大きくなる。夫として同時に妻や家庭への理解度も増すことになり、家族の絆を強める効果も期待できる。また、社会全体としては、女性の労働市場への参入を増やし労働市場の柔軟性を高めることも可能になるのである。
繰り返しになるが、家庭での男女協働を可能にする重要な要素として、原則として残業をしない慣行がある。そのようなことが可能になるのも社会の仕組みや会社の組織、仕事のやり方が簡素であることが挙げられる。思うに、デンマークの場合、「簡素」、「家庭中心」、「父親の子育て」は三位一体となって、このような状況を作り出しているのではないかと思う。

子育て手当より父親の育児参画の方が効果的

外国にいると日本のことを思う気持ちも強まるのが常である。最近の日本について最も深刻に思ったのは少子化の問題であった。働く女性で結婚し子供を持ちたい人は少なくない。それができにくい社会があって、その状態がなかなか変わらないのは日本の怠慢であると言わざるを得ない。そこで、3年近くにわたるデンマーク生活で学んだ第一の教訓は、父親の日常的育児参画こそ、さまざまな少子化対策のなかでも最も効果的な方法であるということである。帰国後、このことをあちこちで吹聴していることを知った妻が、「あなたが今頃そんなことを言っても我が家ではもう手遅れですよ」と厳しく言われた。確かにその通りではあるが、せめてもの罪滅ぼしに、日本でいろいろな人に男性による家事育児の重要性や家庭重視の効用を主張していこうと思うのである。
デンマークのやり方を少しでも日本が倣うことは出来ないだろうか。日本とデンマークとでは物理的環境も文化も大きく異なっているのでとても無理だ、と思う人もいるだろう。確かに、日本での平均的な通勤時間はデンマークよりはるかに長く、勤労者が幼稚園や託児所に幼児の送り迎えをするにも簡単ではない。おまけに残業時間も長い。早く退社することへの罪悪感と周りの白い目もある。やや数字は古いが、財団法人21世紀職業財団の資料によれば、日本における調査では第一子誕生時に労働時間を減らしたいと思った男性の割合は29%であるが、現実に減らした人は僅か6.5% に過ぎないと言う。さらに、育児休暇を取得すべきと考える30歳代男性は6割以上いるのに育児休暇をとりにくいと感じる男性は約8割だそうだ。そして、日本人男性の育児休暇取得率は、数年前は0.56% で、2008年には1.23 % と増えたが、取得日数も僅か数日で、これでは乳幼児を抱える母親を助けることには全くならない。制度があっても周りの雰囲気などから長い休暇は取れないのだそうだ。このような現実を一挙に変えるのは容易ではないかもしれない。しかし、仕事のやり方や家庭生活のあり方は社会の文化の問題である。文化は人間の営みであり、従って、人間によって変更可能である。良い文化は守るべきであるが、少子化の改善が日本としての大きな政策目標であるのなら、その目的に沿って変えてよい文化もある筈である。男性の育児休暇取得を含め法制度はすでに出来ており育児休暇をとりたい男性も多いのにとれないという社会的雰囲気は、皆で努力して変えるべきであろう。デンマークのレベルまで変えることは無理としても、関係者がその気になれば現状をある程度変えることはさほど難しいこととは思われない。そこで、いくつかの提案をしたい。
まず大事なことは発想の転換であり、これは、個人、企業、国の三つのレベルで必要である。第一に、子供を持つ年齢にある夫婦や職業を持つ若い女性が、人生の本当の幸福とは何かという観点に立って、子供を持つ価値や幸せと子供を持つ機会を犠牲にして仕事を続けることのどちらを選ぶべきかについて、深く考えることが重要であろう。家庭を持ち子供のいることの幸福感は何物にも替えがたい。子供を持つことを望みながら踏み切れないで悩む夫婦としては、やはり長い将来のことを考え、一時的に仕事は犠牲にしてでも制度を利用して産休や育児休暇を十分とることを選択するべきである。特に男性には、自身がある程度長期の育児休暇をとることによってのみ妻の出産と職場維持が可能になることを認識して、ためらうことなく、数日や数週間程度ではない月単位の休暇をとることが求められる。同時に、会社の経営陣や職場の同僚としては、少子化を逆転させることの社会的意義を考え、長期的視野に立って、子供を産み育てようとする夫婦を支援することである。その際育児休暇をとる男女の職員に不利な処遇をけして与えないことを社内に明確に告知して、むしろ乳幼児をもつ男性ないし女性職員が育児休暇をとり、あるいは早期退社やフレックスタイムを活用することなどを奨励することが求められる。育児休暇をとりたいけれどとりにくいと感じている多数の職員がいることを踏まえ、彼らの要望に対応することは企業の社会的任務であるとの発想が望まれる。最後に、国としての発想転換が必要である。国は、様々な育児支援策を検討ないし実施しており、それはそれで結構なことで大いに進めてもらいたい。しかし、職業を持つ女性が職場を維持しつつ出産に踏み切ることのできる要因としては、出産費補助や子ども手当ての増額などの経済的支援より、夫による子育てへの協力、即ち、夫のある程度長期の育児休暇取得や早期退社による子育てへの協力の方がずっと大きいことを認識すべきである。
産休・育児休暇の制度ができて久しい。厚生労働省が2009年8月に発表した数字では、すでに女性の9割以上が産休を取り、その5割が10カ月以上休む状況になっているが、男性の育児休暇取得率はまだ僅か1.23% でその期間も1カ月未満だそうである。これでは出産した母親は、安心して子育てはできない。従って、とくに子を持つ、あるいは持とうとする男性の長期育児休暇取得や早期退社が最も有効な少子化対策であると考え、国としては、直接的な出産・子育て手当て以上に出産・育児期の職員を支援する企業の行動を奨励し、出来ればそのような企業を財政的に助成する政策を実施することが重要である。

発想を転換して業務の合理化を

若い職員による長期の育児休暇や早期退社を受け容れることは企業にとって負担が大きいことは事実であろうが、優秀な人材を企業として維持できるのであればメリットにもなる。また、実際に育児休暇をとった男性職員から、「育児や家事をやってみて、今まで気がつかなかった生活者の視点を商品開発に活かすことが出来た」、「育児を通してこれまでの働き方を見直す良い機会になった」との感想が、また、職場の同僚からは、「仕事の進め方について職場内で見直すきっかけとなった」などの評価もあるそうである。職員の長期休暇や早期退社による労働力の喪失ないしコスト圧力に対しては、思い切った業務の合理化や組織の簡素化によってある程度対応することは可能であろう。
日本の企業はバブル崩壊期に相当のリストラを実行したとされているが、北欧のような効率的な社会から帰ってくると、日本の社会にはまだいなくてもよい場所に人を配置しているところが相当目に付くし、一つの仕事やプロセスに関わる人の数が多過ぎるように見える。先に紹介したデンマークの優良通信会社のTDKでは男性職員の育児休暇取得率が高いが効率的経営で大きな利潤を上げている。
日本はサービス重視社会であり、丁寧なサービスを受けることが文化にもなっているが、効率的見地からは著しく競争力を阻害する要因にもなる。卑近な例をいくつか挙げると、スーパーの駐車場の駐車券自動販売機にも人がついて案内しているのを見たことがある。工事現場や駅の通路や駐車場にも交通整理のために何人も人がつく。ゴルフ場に行っても、ゴルフバッグやカートの世話係りが何人かいる。人間は慣れれば、多少サービスが悪くてもひとりで危険を避けて歩けるし、セルフサービスでプレーも出来る。企業でも社長や重役の出張に「鞄持ち」やお供が付くことが多い。簡単な挨拶のスピーチにも誰かが原稿を用意する。必要不可欠でない人員や業務は廃止し、その節約から生ずるリソースによって育児による減員を穴埋めする工夫もできよう。すべての企業がそうでなくても、多くの企業にとってまだ合理化の余地はあると思われる。私が体験ないし見聞した日本の職場では、稟議にしろ文書作りにしろ、あるいは他社、他部門との協議にしろ、関わる人の数が多過ぎて効率化を損ねている例が少なくない。形式的な「挨拶回り」も実に過剰である。発想を変えてより合理的な人脈構築の方策を考えたり、システムを変えて業務を合理化する余地は大きいと確信している。
重要で迅速な処理を要する業務に携わる職員が長期の育児休暇をとったり連日早期退社をすることは困難な場合が少なくないのも事実であろう。そのような状況を緩和するためには、託児所の増設や子供を預かる業務を遂行する要員を抜本的に増加させることも必要である。そのためには、自治体または民間会社が運営する育児支援要員派遣事業も考えられる。育児経験のある職業をもたない家庭の主婦や退職者等を地域社会ごとに募集し、彼らに対して一定の研修を施した上で、育児期にある働く親たちを支援する事業である。親たちの必要に応じて子供を夕食時間以後まで預かることも必要となろう。そうした事業には国や自治体の補助も必要となろう。
要するに少子化対策は将来に向けた国家の最重要で緊急な課題のひとつでもある。単なる「出産費補助」や「子ども手当て」中心の対策でなく多様な施策が必要であるが、「骨太」な対策の方向は、男性の育児休暇をもっと大胆にとれる雰囲気や仕組みを企業や職場ぐるみで作り上げるとともに、それを補完するために託児所を増設し、育児支援要員派遣制度を整備することが重要である。それによって、出生率は高まり、同時に女性の労働市場参入率を高め、もって財政収入増大をも期待することも可能である。さらに、少子化への対応の効果は、単に出生率を上げて社会経済を強化するだけにとどまらない。それは、人間の幸福についての再考察の意味合いを有し、さらに「ワーク・ライフ・バランス」改善を促し、家族が一緒にいる時間を増やして今日失われつつあるに家族の絆を強めることにも繋がりうるものであって、世紀の国民的課題とも言うことができる。
必要な財政支出は長期的視野に立って手当てされなければならないのは勿論であり、新政権の重要政策目標となることが望まれる。国民レベルでの認識を高め、関係者の発想を転換することも肝要である。2006年に社会経済生産性本部のイニシアチブで少子化に対応し次世代育成を支援するための民間運動である「ワーク・ライフ・バランス推進会議」が発足した。この運動が活動をさらに広め真に大きな国民運動となることも期待したい。