小川郷太郎の「日本と世界」

デンマークの教え

                     

職業柄、海外勤務が多い。最近まで住んでいたデンマークの社会現象は日本人の発想転換に大いなる刺激を与えてくれた。少子化対策について、である。

コペンハーゲンの街でよく目にしたのは、大きなお腹を堂々と前に突き出して町を闊歩する妊婦の姿である。妊婦の数がとても多く感じられるのは、現在デンマークの合計特殊出生率が約1.8人で、日本人女性より平均0.5人強の「子沢山」だからであろう。

だが、それ以上に印象的だったのは父親が日常的に育児にかかわる姿だった。
乳母車を押している若い父親も恥ずかしがらずむしろ幸せそうで、新鮮な驚きを感じるほどだった。週末などにはジョッギングをしながら乳母車を押すお父さんの姿も見かける。毎朝の通勤途中や午後などに、自転車で子供を幼稚園に送り迎えするお父さんやお母さんたちの姿を見るのは私の楽しみでもあった。

デンマークでは自転車の前か後ろに車輪付の箱のようなものを取り付けてその中に幼児を乗せて走ることが多い。子供が乗っているときには高く旗を掲げて子供の存在を知らせて周りの注意を喚起する、微笑ましい光景である。
デンマークでは、就労年齢にある女性の4分の3が仕事を持っているので、子育ても家事も男女の共同作業である。妻の帰宅が遅くなるような場合は、夫が子供を学校からひきとって夕食を用意して妻の帰りを待つのも普通のことだ。
通常職場での仕事は大体5時から5時半に終わり、人々は皆家路を急ぐ。我が大使館の現地採用の職員も、定時退庁励行のみならず休暇も堂々と完璧にとる。出産・育児休暇は夫婦合わせて法律上52週あるが、この中で男性も何週間かの育児休暇をとる。大使館の仕事が忙しいときは残業や休暇の変更を望むのだが、たいていは職員の希望が通る。だからといって大使館がひっくり返るようなことにはならないことも学んだ。

また、「病欠」という権利のようなものがあって、急に病気になったときには3日以内なら医師の証明書もなく休むことができる。私の公用車の運転手だった職員は偉丈夫であったが、しばしば月曜の朝になると突然「病欠」となった。その頻度が多すぎるので運転手を交代させたが、この男は、大使の運転手に必然的に伴う超過勤務数が激減したので、とても幸せそうだった。

家庭を大事にする態度にも目を見張らされる。この国では家族が一緒に食事をし、週末も休暇も一緒に時を過すことが多い。だから親と子供、夫婦間の対話は密のようだ。デンマークでは最近日本でよく起こる児童に絡む陰惨な事件はほとんど聞かない。
デンマークには実際世界市場の2割から数割のシェアーを誇るグローバル企業も少なくない。そういう企業を訪問してもやはり、定時退社が原則だ。見てみると、会社の組織は極めて簡素で部署毎の人員も極めて少ない。余分な稟議や関係部署との調整は少なく、ひとりの担当者と若干の関係者と上司ぐらいが物事を決めて動かしていくことが多い。

そのため意思決定が早く、業務の生産性は頗る高いように見える。ある大会社の社長室を覗くと、仕切られてはいたがオープンな小さい場所で椅子も秘書と同じサイズであった。社長は気軽に出てきて社員と友人同士のように言葉を交わす。一般的に社長や管理職に「鞄持ち」が付くようなこともなく、社長などは身の回りのことも含め自分で処理することが多い。世界最大のコンテナ保有量を誇る海運会社マエスクの副社長のお宅に招かれた際、「邸宅」とはいえない普通の家での、簡素な生活ぶりに驚かされたことがある。

「組織や業務形態の簡素さ」「家庭重視」「定時退社」の三位一体。それが父親と母親の日常的な家事育児の協働を可能にする。私は、出産費補助や育児手当の増額などより男性の育児参加こそ日本の危機的な少子化状況を救う最も有効な方策だと思う。日本でも制度は出来たが男性の育児休暇取得率はまだ僅か0.5%だという。

育児の過程にある日本の男性は大いに育児休暇をとれ。定時退社せよ。そのための職場の周りの人々の理解と意識改革が重要だ。

私が最近こういうことを盛んに言い始めるのを見て、三人の子供を育ててきた妻は「今頃気がついても手遅れよ」と手厳しい。私は、せめて他人に向かって声を大にして言うことによって罪滅ぼしをしたいのである。