小川郷太郎の「日本と世界」

世界選手権:日本からの視点

私はパリのベルシー体育館に世界選手権を見に行った。そこで国際柔道の動きも観察した。その際の所見を述べたい。

まず、フランスに祝意を表したい。フランス人男女選手の活躍で会場の雰囲気も大いに盛り上がった。日本の選手にはもう少し金メダルを多く取ってもらいたかったが、昨年の東京大会での10個の金メダルに比して5個という結果は、私の見るところの日本選手の現実の能力を示していると思う。日本ではこの結果についてコーチ陣を批判する人もいる。「男子重量級の外国人選手は筋力とスピーで優っているのに、日本選手はそれに対して全く頭を使わないで負けた」という声も聞いた。外国人対策が取られていないし技術も不十分である。多くの日本人から見て、日本選手にとくに足技などの技術面での対応が欠けていた。

審判の問題については、まだ理想からは遠いが、昨年の東京大会に比べると明らかに改善した。特に寝技により多くの時間を与えるようになったため、抑え込みに至るまでの寝技の興味深い展開が見られた。しかし、私は、攻めている側が足を抜いて抑え込みに入る寸前で審判が「待て」をかけて立たせた例も見た。審判員の中には柔道や柔道の基本についての知識が欠けている者がいることを物語っている。だから、私は国際柔道連盟(IJF)に対し、審判の質を高めるため定期的な講習を実施することを求めたい。研修はしていると言うが、審判の技術指導を忘れてはならない。他方でIJFを称賛すべき面もある。審判員の中には、試合が終わってもずっと寝たままでいる選手に立つように指示したり、しっかりと礼をするように求めるなど、選手に礼節を守ることを執拗に求める者もいる。礼節は柔道の不可分の構成要素であって、私はこれを極めて重視している。従って、審判から促されてもまだ寝たままでいる選手や派手なガッツポーズをしたり、礼の仕方が疎かだったりする選手が見られるのは遺憾である。このような態度は見苦しい限りである。日本人選手は本来見本となるべきであるが、負けたあとの態度が見苦しい男子選手がいるのはとても恥ずかしい。IJFは礼の仕方を守るよう努力をしているようだ。今度は世界中のコーチや指導者が選手や生徒に礼節を指導する番である。それは指導者たちの責務である。IJFは、この旨各連盟に明確な指示をしたらよい。

もうひとつ。ルールの改定が試合の内容を良くしたことも事実であるが、まだ議論すべき点もある。延長しても内容的に優劣をつけがたい試合を旗判定で勝者を決める場合が少なくない。武道では明確な勝者がなければならない。曖昧なまま勝敗を決めることが多くなると、試合をつまらないものにする。さらに言えば、徹底的に相手に掴ませないようにしている選手もいる。時には審判が指導を与えるが、技をかけさせないように相手の袖口を徹頭徹尾強く握って離さないため、双方に目立った動きがないまま時間が経過する例もあった。そのような柔道は見たくない。ともあれ、私は楽観主義者である。IJFは、ロンドンオリンピックのあと現在の試合ルールを見直すものと理解している。

最後に国際試合を運営する責任者に対し、最近の試合の「商業主義的」傾向と世界選手権の開催頻度について注意を促したい。ベルシー体育館で話した人の中には試合の運営の仕方に満足している者もいたが、他方で、喧しすぎる音楽やプロレス興行的雰囲気の演出、あるいは広告が大きすぎて肝心の選手の名前が見えにくいほどのゼッケンなどに問題を感じている人々も少なくなかった。日本ではこういう雰囲気を好まない。最後に世界ランキング制度について触れたい。いまの制度は選手の体調管理に影響を与えていることが明らかになっている。現行の試合の頻度は、選手の節度ある練習計画を妨げ、ときには選手の質をも落としかねない。これらの点についても、ロンドンオリンピックのあと考慮しなければならない。