小川郷太郎の「日本と世界」

ヒロシマ vs. パールハーバー 「日米首脳による相互献花外交」提案を支持する

アメリカの家族と原爆論争

1961年の秋のある夕方。筆者は、AFS(アメリカン・フィールド・サービス)交換留学制度のもとで米国ニューメキシコ州アルブカーキー市にあるヴァリー・ハイスクールに留学中であったが、いつものようにホストファミリーであるローズ家の家族の一員として晩餐の食卓を囲んでいた。
まだ英語の力も不十分ではあったが、アメリカの家族に少しでも日本のことを話していこうとする努力の中で、その日は、広島や長崎に投下された原爆の被害がいかに凄まじく悲惨なものであったかを訥々と話し始めたところだった。今にして考えると、アメリカ人の前でこの話を持ち出すのはやや不用意だったかもしれないが、留学生活も3か月ほどが過ぎて、食卓を囲んでの日本の日常生活についての話題もある程度進み、新たな話題を探していたなかで、渡米前の日本での修学旅行で見た広島の原爆資料館の印象があまりにも鮮烈に脳裏に残っていたことがあったからかもしれない。
原爆の話がほんの少し進んだところで、アメリカの母は私の話を遮って、「ゴウタロウ、ちょっと待って。あなたは何を言うの!」と大声をあげた。その声の大きさに思わず見上げると母の顔は紅潮して眼も吊り上っていた。「宣戦布告なしにあの卑怯な戦争を仕掛けたのは日本でしょう。原爆は、戦争を早期に終わらせるために必要だったのよ」とボルテージを上げていった。ニューメキシコ大学に通う姉のベティーもすかさず「、そうよ郷ちゃん、アメリカ人はけしてパールハーバーを忘れないのよ。日本が卑怯だったのよ」とこれまた興奮して大声をあげた。普段は和やかだった食卓が一挙に論争の場となった。父も弟のビルももう一人の姉のサリーもじっと私の次の反応を待っているかのように食い入るように私を見ていた。
私が次にどう答えたかはよく覚えていないが、それでも原爆自体の惨禍や非人道性は凄まじいものだということを呟いて、また反論を浴びたような気がする。

彼我の認識の大きなギャップ

「パールハーバー」に対するアメリカ人の心証を知らないわけではなかったが、迂闊に原爆のことを持ち出したときのアメリカ人の感情の激しさを期せずして記憶に叩き込む結果となった。私の方は、原爆については何となく被害者意識もあって話し出したのだろうが、この日の出来事によって、歴史における被害者と加害者の認識の巨大なギャップについて胸に深く刻み込むようになった。やはり、その後のアメリカ史の授業で、「パールハーバー」について多くのページが割かれ、12月8日はアメリカにとって「屈辱の日」であることが強調され、原爆投下が日本との戦争の終期を早めたとして肯定的に教えられていることを改めて知らされた。
日米間に限らず、日韓、日中または第三国間の歴史問題をめぐる抗争は、ほとんどの場合、両当事国間の事実関係に関する認識は常に自国の立場に立つ見方であって、相手側の認識や主張には耳を貸さなかったり、知ろうとしないところに由来するものである。 永続的な和解を達成するためには、両国が互いに相手の立場に思いを致し、いったん真剣に相手の立場に立って検討を試み、その上で「人間」の立場を踏まえて自国の処すべき態度を決めることが不可欠である。そういうことを有効になしうるのは、客観的に歴史事実を研究する学者や研究者か公平な政治的指導者に限られるであろう。しかるに政治家の場合、通常これまでの立場を変更したり、結果的に自国民に不利になる決定はしにくい環境にある。しかし、歴史問題が未解決で長年両国間の障害として残ることからくる不利益と、思い切った姿勢の転換により永続的な和解や平和を得る利点との間の選択の問題でもある。歴史問題の解決は常に極めて難しい。しかし、視野の広い公正な政治指導者はこうした状況を打開する可能性を秘めている。
オバマ大統領の広島・長崎訪問問題が取りざたされるようになったことは、またとない「機会の窓」が仄かに見えるようになりつつあるということもできる。

松尾提案を支持する

ジャーナリストの松尾文夫氏は、2005年以降日米両国のメディアを通ずるなどして一貫して、アメリカ大統領の広島・長崎訪問と日本の首相による真珠湾のアリゾナ記念館訪問による「相互献花外交」を提唱している。最近でも、「中央公論」12月号誌上で詳しく主張が展開されている。
氏の構想は、第二次世界大戦終戦55周年にアメリカ・欧州同盟国とドイツとの間で達成された「ドレスデンの和解」の日本版を実現しようとする壮大なものである。その理由として、「あの第二次世界大戦から64年を経ながら、日本がドイツとは対照的に、いまだに達成できずにいるアメリカ、そして中国、韓国など近隣諸国との歴史和解をまとめて一気に実現し、長年放置されてきた歴史問題の幕を閉じるという大事業」を目指すことが挙げられている。
あとでも触れる中国や韓国との歴史和解の話はともかく、日米関係は全体として良好であるとしても、冒頭触れたような原爆投下とも繋がる真珠湾攻撃をめぐる依然として解決されていない歴史問題が底流にあり、それが時として亡霊のように現れて良好な日米関係の問題処理に障害をもたらすことがある。韓国や中国と我が国の間の「従軍慰安婦問題」をめぐる果てしなき醜い抗争は、一昨年来アメリカでも注目され、アメリカの議会で日本非難決議採択にまで発展したことが想起されるが、これも日米間の歴史問題とまったく無関係ではないともいえる。第三国であるアメリカによる従軍慰安婦問題に関する日本非難決議は日本人にとって不愉快極まりないが、これによって、親日的知識人を含めたアメリカ世論の対日信頼感を相当傷つけたことは事実である。日米間の「『ヒロシマ・ナガサキ』vs『パール・ハーバー』」問題は、長期的な日米関係の維持の見地からも解決すべき極めて重要な課題である。筆者は、松尾氏の提案を心から支持するものであり、その実現を強く望んでいる。
松尾氏は2005年8月16日付「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙上でアメリカ大統領の広島献花を提案した。ブッシュ政権下でもあり、その実現性は極めて低いことは客観的にも明らかであった。しかし、オバマ氏の大統領就任と鳩山新政権の成立とこれら両首脳による最近の言動など、まったく新しい要素も出るようになっている。核兵器使用に対する「道義的責任」に触れたオバマ大統領のプラハでの「核兵器なき世界」演説、同大統領のノーベル平和賞の受賞、11月の訪日時における「ヒロシマ・ナガサキ」への言及、鳩山首相による歴史問題への前向きな姿勢等々、相互献花訪問実現の環境を明るくする要素がある。
原爆投下については、その当否は別にしてアメリカにはアメリカの認識がある以上、日本側としても、単にオバマ大統領が広島や長崎を訪問するのを期待し、要望するだけで済むものではない。日本側の歴史認識の再点検と行動も不可欠の要素である。

アリゾナ記念館で見たもの

私は1998年の4月に在ホノルル総領事に任命されたが、前任者天江喜七郎氏の助言を受けて着任後最初にとった行動は、アリゾナ・メモリアル(記念館)に出向いて献花することであった。日本帝国海軍の真珠湾奇襲攻撃によって沈んだままの状態にある「アリゾナ」は静かな碧い半透明の海の下方にあり、僅かにそこから気泡が水面上に浮かび上がってきていた。この艦の中にはまだ1177人の海軍兵士の遺体が眠っているという。海上に浮かぶ記念館に着く前の船上で、案内役の米海軍士官は真珠湾を囲む山や地平線を指しながら、「あの方向から日本の攻撃機が多数飛来して爆撃して行った」と極めて冷静に説明してくれた。臨場感あふれる雰囲気の中で、私は当時の模様を静かに心に描いていた。祖国のためにとこの攻撃に参加した若い日本の兵士たち、多大な犠牲を蒙った米海軍と傷つけられた威信。いまそこにその犠牲者が眠っている。私は心をこめて海の上に花束を手むけてじっと祈られずにはいられなかった。
その後のハワイでの生活で、日本による攻撃によって苦しんだハワイ在住の日系人の数々の物語をきいた。強制収容所での生活、アメリカへの忠誠を示すため兵役に志願してヨーロッパ戦線で勇敢に戦った若い日系人兵士たち、戦争末期の沖縄戦に通訳として投入された日系米兵士の苦悩など、戦争にまつわる逸話には事欠かない。
真珠湾奇襲攻撃への恨みや原爆投下がありうべき更なる多数の犠牲者の発生を回避し戦争の終期を早めたとのアメリカ人の確信的認識はいまなお根強く、オバマ大統領のヒロシマ・ナガサキ訪問へのアメリカ国民の抵抗感は相当強いものである。
そういう中でオバマ氏がプラハ演説で原爆投下の道義的責任に触れたことは勇気のある画期的な出来事であったが、これに対する米国内の反発もけして一部に限られるわけではない。太平洋戦争をめぐる両同盟国間の大きな認識のギャップを乗り越えて和解を果たすには、お互いが躊躇してきた一歩を踏み出す必要があり、日本側の行動も不可欠である。

鳩山首相の真珠湾献花を先に

しかし、前出の「中央公論」の松尾論文でも指摘されているように、今日でも両国に存在するさまざまな国民意識や感情の問題など、依然として相互献花外交実現の前には多くの根強い障害や困難な要素が横たわっている。その障害の一つなりうるのは、どちらが先に行動するかという点があるかもしれない。日本人が強く望むアメリカの大統領の広島等訪問には、アメリカ国内にかなり強い感情的抵抗がある。真珠湾への奇襲攻撃に対するアメリカ人の激しい感情があることから、日本側の行動が不可欠であることはいま述べたとおりであるが、そうであれば、双方がお互いに献花する以上、あまりどちらが先かに拘るべきではない。そういう意味で、前掲の「中央公論」誌上で松尾氏がそれまでの主張に新しい要素を加えて「まず鳩山首相が真珠湾で鎮魂の花束を」と提案したことは、極めて重要な要素である。この際、時系列的順序を尊重して思い切って日本の鳩山首相が先に真珠湾で献花をすることは、アメリカ側の抵抗感を和らげるうえで相当の効果があると思料される。
日米それぞれの国で最も機微な感情のひそむ場所で、両国の首脳が互いに相手国の犠牲者を悼んで鎮魂することは、双方の国民の琴線に触れるに違いない。1970年、後にノーベル平和賞を受けることになったドイツのアデナウアー首相が、ワルシャワのユダヤ人ゲットーの跡地に赴きナチスによって犠牲になったポーランド人の記念碑に跪いて献花したことが、多くの人の心を打ったことが想起される。
相互献花への両国民の心理的障害はまだ他にもある。松尾氏が相互訪問は「謝罪ではなく死者を悼む献花」として実現しようとしていることは、両国双方の機微な感情問題から生ずるであろう摩擦を回避するうえで極めて賢明な提案である。
両国首脳による相互献花が実現すれば画期的な両国民の心情的和解に寄与し、国民レベルでの日米同盟強化にも繋がることが期待される。
献花は死者を悼む行為であり、そこには敵・味方を超越した人間的感情に基づくものでもある。人間的感情を尊重する姿勢は鳩山首相もオバマ大統領も共通して持っているようだ。困難はあってもここ一両年が大きな機会である。11月の訪日においても、記者会見で、広島・長崎訪問について聞かれたオバマ大統領は、自らが提唱する「核兵器なき世界」に関連して、「日本は核兵器にいて独自の視点がある。広島と長崎に原爆が投下されたからだ」と語り、さらに「広島と長崎を訪れることができれば非常に名誉なことだと思っている。短期的には訪問の計画はないが、非常に意味のあることだと思っている」と述べている。国内に反対のあるこの問題についてじっくり考えようとする意欲が感じられ、期待できる内容だが、だからこそ日本側も大いに実行の意思を持って行動を取らなければならない。

皆で「オバマ・ムーヴメント」を押して行こう

アメリカにオバマ大統領が誕生したことはアメリカだけでなく世界に大きな肯定的影響をもたらしている。ブッシュ政権の一国行動主義からの大転換であり、唯一の超大国としての軍事力は維持しているものの、政策転換の方向は、平和志向、世界各国との協調・対話路線であり、具体的には、「核兵器なき世界」、ロシアとの核軍縮協議、地球温暖化対策への前向き姿勢、アジアへの関与強化などに表れている。「オバマ・ムーヴメント」と呼んでもいいほどの画期的歴史的運動と言える。これには幼少時代からインドネシアやホノルルの多民族社会で育ったことが良い影響を及ぼしたと見ることもできよう。やや過早ではないかと言われることもあるノーベル平和賞授与も平和に向けた大統領の行動を後押しするノーベル賞委員会の意図があるとみられる。
このモメンタムを是非盛り上げていくことが望ましいが、現実には高い支持率をほこったオバマ大統領の国内支持率は下り坂である。思うように進まない医療保険制度改革やなかなか展望の描けないアフガニスタンへの関与の在り方をめぐって批判も高まり、最近の世論調査ではついに支持率が50%を切った。オバマ大統領の支持率低下は、われわれが目標とする「首脳レベルでの相互献花外交」実現にもマイナスの影響を及ぼすことになる。
日本国民の強い願望でもある核廃絶を目指すには、核超大国アメリカの大統領として「核兵器なき世界」へのコミットメントを表明して歴史的な転換を示したオバマ氏と提携するのが最も望ましい。率先してこの「オバマ・ムーブメント」を引っ張る先頭に立つことは日本の国益でもある。オバマ氏の広島訪問実現は、必ずや廃絶を目指す大統領の意欲を高めることになり、また、メディアを通じて世界各国の人々の核廃絶に向けた意思を高める効果も期待できる。

アジア諸国との和解は別問題

松尾文夫氏は、日米相互献花を提唱しつつも、この種の鎮魂の儀式の輪を「中国、韓国、さらには北朝鮮、ロシアといった近隣諸国、そして最終的には、かつてあの悲惨な戦争で犠牲者を出したすべてのアジア、太平洋諸国にも広げていく」外交イニシアティブを提唱している。しかし私は、韓国や中国等との同じような相互献花外交の実現はその根実現可能性の見地から実現できないだろうと考える。日米間には相互に被害者であるとの認識があるが、日本は韓国や中国との関係で被害者としての認識はないであろうし、中国や韓国国民が見てこれらの国の首脳が広島に出かけて献花をする根拠が見つけらないであろうし、感情的に反発を持つことが予想される。従って、これらの国々との和解には、主として日本側の全く別途の行動が必要であろう。アジア近隣国との相互献花外交を提示することによって、これらの国との関係を余計に複雑化させる可能性も県念される。松尾氏自身が、「もし、オバマ大統領が広島や長崎に行けば、広島や長崎の人たち、そして最後には日本人全体が、これまでの加害者心理を忘れ被害者の気持ちになってしまうのではないか。それが一番心配だ。だからオバマは広島に行くべきではない」との中国や韓国の「本音」の言葉にも触れている。十分考えられる心理であるが、そうであればなおさらこれらの国の首脳が広島や長崎に行って献花する可能性はは一層乏しいであろう。

歴史問題克服は日本外交の最重要課題(東アジア共同体構想)

いずれにせよ、日本に限らないが通常どの国の国民も自国が加害者側であることについては認識が薄い。日本の場合もそれが顕著である。日本の首脳によるアリゾナ記念館での献花は、日本人にとっても日本が関わった戦争についてのより広い視野からの認識形成に役に立つだろう。日中戦争や韓国の植民地化の問題に由来する日本とこれら近隣諸国との間の歴史問題からくる終わりなき軋轢は、日本外交の足を再三引っ張ってきた。
日米相互献花外交が実現すれば、より困難な韓国中国等との問題改善に約ン立つ第一歩となるかもしれない。それが「東アジア共同体」推進についての日本のイニシアティブに対するアジア諸国の信頼性を改善することにもなろう。