小川郷太郎の「日本と世界」

井上はそれを成し遂げることができるか

ロンドンオリンピックの後、日本柔道はいくつもの焦燥感を抱いている。まず、審判員制度の問題がある。ロンドンでの試合を見て、日本では審判委員(ジュリー)の行動を「過剰な介入だ」「到底受け入れられない」「審判制度の目的から逸脱している」と一様に強く批判しており、畳の上の審判員にもっと大きな権限を与えるべきとの考えである。ある日本の公式審判員は、「初日からジュリーの指示が非常に多く、『指導』を与える細かな指示までする場面もあり、審判員たちは非常に大きなストレスの中、審判を務めた」と書いている。一本の評価の問題もある。日本人は、国際審判員はしばしば投技のスピードや強さ(インパクト)を充分考慮せずに一本を宣言することが多過ぎると思っている。我々にとって、ただ背中が畳に着くことだけが一本の十分条件ではない。それはあらためて指摘するまでもないことだろう。
それはともかく、日本柔道にとってより重要な問題はロンドンでの無残な敗北である。オリンピック前に日本の男子チームの指導部は、参加選手7名全てがメダルをとり、そのうち金メダルは3つ以上という目標を立てた。結果はご存じのとおり、男子は金メダルなし、2つの銀メダル、2つの銅メダルである。実は、この結果は驚きではなく現在の日本の男子選手のレベルを反映したものだとみる人もいる。逆に女子については、指導部は5つの金、そして銀と銅が一つずつも可能だとみていたが、金メダルひとつ(メダル合計3つ)しか取れなかったのは予想外で、女子の結果への失望がより大きかった。
講道館発行の雑誌「柔道」10月号はロンドン・オリンピックを特集し、日本チームの大部分の指導者がそこに寄稿している。私が感じたのは、トップの指導者は今回の「惨敗」の理由について反省の弁をあまり明確には述べていないが、中堅幹部は控えめながら失敗の理由を述べていることだ。井上康生は、選手の体調の「ピーキングがうまくできなかった」と書いている。岡田弘隆男子強化委員は、「ランキング制により、国内での競争もあり選手は多くの試合に出なければならず、飛ばしすぎて疲労が蓄積したのではないか」との趣旨を述べている。もう一つの問題は、全体での練習が長すぎて個別の練習が十分できなかったことがあるように見える。岡田氏は「ベテランと若手を同じような長い合宿に参加させたことは、ベテランの失速に繋がったのではないか」と指摘している。日本ではどの選手も大学や企業の柔道部に所属しており、そこでは選手の弱点や必要な対策を熟知している指導者の経験を享受できる。井上も岡田も連盟の管理主義的手法を緩和するべきことや全体練習と個別練習のバランスの変化を示唆しているように思える。
前回のオリンピックの反省点として、「外国選手の研究や対策の不足」もあるようだ。今頃この問題を取り上げるのは遅きに失している。この問題はすでに私はこの欄で以前にも指摘したことでもあるからだ。
これからどうするのか。日本柔道の指導者たちは今回の敗北の厳格な原因分析を説く。柔道の実践者やそうでない人も含めて多くの人が練習方法の改善を望んでいる。このことは実現に向かいつつあるようだ。斉藤仁氏(ロスアンジェルスとソウルの・オリンピックの二つで金メダル獲得)が吉村氏の後任として強化委員長に就任したあと、全柔連は予期に反してそれまでコーチ陣の一員であった井上康生氏を男子監督に任命した。井上は権威主義的手法で知られている篠原信一氏を継ぐ。井上は34歳の若さであり、選手の年齢にも近く、また英国での研修で培われた「国際主義的な」開かれた考え方を持っている(私の同氏に対するインタビュー記事(http://www.judo-voj.com/Japanese/inouekosei.html)を参照)。では、日本柔道の強化に関する伝統的な統制的手法は、今後より合理主義的な手法に変化することが期待できるであろうか。改良主義者である井上氏は、最近私に強化練習の改善策について考えを述べたことがある。同氏の決意を聞いて私は期待を持っている。しかし、この若い監督が、伝統的に保守的で封建的な上下関係意識のある柔道界の枠組みの中でどこまで改革を実行していけるかを見る必要がある。