小川郷太郎の「日本と世界」

新しい規則:欠けているもの

IJFが発表したルールはオリンピック・リオ大会まで試験的に適用される。当然のことだが、このルールは日本人にとって大いに関心がある。我々はどう考えるか。先ず、書かれていないことから始めたい。
近年、私はIJFがとってきた決定方法に一抹の疑念を抱いている。IJFは今次改定に至るまでに要した「長い手続き」に触れている。どういうことだろうか。私には、多くの関係者が協議を受けたかについて確信が持てない。決定権はIJFの執行委員会の何人かの委員に集中しているようにも見える。この方式は確かに迅速な決定と遅滞ない適用を可能にしたが、他方で限界もある。すなわち、選手や指導者が既成事実の前に晒される点である。日本国内や外国でもこれらの人々の不満を何度も聞いた。柔軟性に欠ける変更を避けるために、議論の枠を広げ、より民主的に考えるべきである。例えば、新しいルールの適用の前に、大きな国際大会の場などで国際シンポジウムを開くのはどうだろうか。さらにこのたびの改定は、今日柔道が直面する多くの課題-とくにビゼール会長が望んでいる「見栄えのする柔道」の探求―を解決するには十分と言えるであろうか。私自身は、例えば、選手や練習日程を組むうえで大きな負担になっている国際大会のめまぐるしい開催頻度の改正にも触れてほしかった。ビゼール氏が言うように柔道を「見栄えがして魅力的」にするためにも、私はかねてより、体重別の階級数を減らし、例えば各階級の体重差を20kgから25kgに拡げることを主張している。日本選手権で行われている体重無差別制では、小よく大を制すことを示している。これらについてはIJFでは何ら議論されていないようだが。
改定されたルールに関してみれば、一本の価値の再評価、旗判定の廃止、ポイントにならない指導の回数の引き上げなどは、柔道をより魅力的にするための改善であると思う。組み手をしっかりさせることも結構である。美しい柔道にするためには組み方が非常に重要な要素であることは論を俟たない。二本の腕で組ませるようにすることも大事なことだ。しかし、それだけで十分ではない。
ロンドン後に行動する必要があった。審判委員(ジュリー)の権限を縮小することは正しい方向で、選手や観客の不満に応えるものである。しかしながら、新しいルールは依然として重要な曖昧さを残している。IJFの責任者はジュリーは例外的場合しか関与しないとしているが、誰が「例外的場合」と判断するのだろうか。それは明らかにジュリー自身であろう。もっと改善して明確にすることが可能である。
抑え込み時間の短縮は、寝技によるポイントをとりやすくするので、寝技の練習を奨励することになろうが、他の視点も重要だ。それは、抑え込みの価値を低くする効果があり、一本の価値の再評価に逆行することになる。実際、もし中途半端な抑え込みで有効か技有が取れたりすると、寝技の効率を高めたり、完全な抑え込みやそこから逃げる技術を習得する努力を疎かにしかねない。今回の改定の意義があるようには思えない。
最後に礼節のことであるが、私はこの点に拘りたい。新しいルールは礼節を高めるうえで一歩前進とはいえるが、試合後の礼節について何ら触れていない。柔道は尊厳のあるべきものである。勝者が過度のジェスチャ―で誇示し、敗者は畳に上に仰向けになって審判が促してもなかなか起きない。これは他者への敬意の欠如であり、見苦しいものである。柔道はこの点で妥協すべきではない。新しいルールはこの点について触れていない。改定すべき重要点であるのだが。