小川郷太郎の「日本と世界」

ロンドン、そしてその後は?

いまは誰もがロンドンのことを考えている。当然のことで、私もロンドン大会が華やかで我々にオリンピックならではの感動をもたらしてくれることを願っている。しかし、私はすでにロンドン後のことも考えている。つまり、国際柔道連盟(IJF)がロンドン・オリンピック後に試合規則や国際試合の運営に関する見直しにどう取り組むか注目したい。最近のIJFの決定の速さ、時には拙速とも思える決定を見るにつけ、この問題を論じるのが尚早だとは思わない。それどころか、誰が勝ち、どの国がメダルを多くとるかの関心だけでなく、明日の柔道のあるべき姿を考えながらロンドンでの試合を見詰めることは、極めて建設的な姿勢ではないかと思う。この点は、日本の考えでもあるし、また私自身のものでもあるが、それだけでなく、私の友人の柔道家たち、選手、コーチ、柔道専門家の関心事で、おそらく世界中の選手たちの気持ちの表明でもあるはずだ。

最近の試合規則の変更は試合内容や技の改善に貢献した。このことはIJFのイニシアティブに負うところが大きいが、他方で、突然で頻繁な規則の変更が選手、指導者、さらには審判を混乱させたことも事実である。なぜなら、選手等関係者が新しいルールに慣れるために十分な時間もなく発表され適用されることもしばしばで、畳に上がって知ったようなこともなかったわけではない。「よい柔道のために」という意図で実施されたルール変更について、おそらくあまり深い議論がなされなかったのではないかとも感じるし、少なくとも、あまりオープンにではなく数人に全関係者にかかる決定を行う権限を与えたり、時には、選手の真のニーズに反しメディア受けを考慮した決定もあったであろう。ともすれば、議論は限られたサークルの間で行われたこともあるように私には見え、結論やそこに至った議論の推移はわからない。例えば、相手の帯より下への手による直接的攻撃の禁止という新しいルールは良い結果をもたらしたことも事実だが、他方では、肩車のような柔道に本来認められている技を掛けることを困難にさせた。

頻繁で急なルール変更は混乱をもたらした。最近、私はあるコーチが「もし今後ルール変更があるとしても4年に1度ぐらいにしてほしい」と強く求める声を聞いた。それではどうするか。まず、選手に今までより多くの発言の機会を与え、耳を傾けることである。ランキング制度と試合頻度の高まりの中で潰される選手の苦しみ、適切なスケジュールに従って練習することや怪我からの回復に必要な時間を確保することの困難な現状がわかるであろう。こうした問題への対策を考慮せずに世界の柔道をよくすることは想像出来ないだろう。

これは重要な問題である。IJFの現体制が、これまで柔道衣の青と白の選手を畳のどちら側に立たせるとか、コーチボックスの中のコーチの言動や服装などのような詳細な事柄の規制にまで大きなエネルギーを費やしてきた一方で、上記のような問題は十分には考慮してこなかった。この間、選手の態度や礼節の問題、貧しい国や地域の柔道連盟への支援、主要な国際試合に出る機会から遠ざけられた選手たちをどう救うかなどの問題についても、さほど声高には議論されてこなかった。審判については、数年前「試合の重要性や選手の質に相応しいレベルの真のプロフェッショナル」に育成するという方針が表明されたが、判定の統一性や審判の質についての期待された結果はまだ見られない。

IJF首脳陣は、国際的世論を聞く必要がある。そのため、よく研究され建設的な柔道の改革を目指して柔道の主要な問題を討議するシンポジウムなどを大きな国際試合の際に開催してはどうだろうか。こうしたシンポジウムには、選手やコーチ、柔道の専門家や愛好家を招くことが良いだろう。ロンドン大会の終了後に、必ずしも急いでやる必要はない。大事なことは、今後のルール等の変更がしっかりした根拠を持ち、持続可能なものであり、さらに世界の柔道家から支持されるものになるよう、実り多く明確な議論をするために必要で十分な時間をとることである。その予備的な議論を個々の大陸連盟において、あるいは個別の連盟間(手始めに、日仏両連盟間でも)で行うことも考えられる。皆さんはどう考えますか。