小川郷太郎の「日本と世界」

 

ロンドンのあと、日本柔道は何をすべきか 

 

1.はじめに
 ロンドン・オリンピックでの柔道競技は日本にとって期待に反する結果に終わった。男子が初めて金メダル・ゼロに終わったこともあり、国内では「お家芸の落日」とか「凋落」などとの厳しい批評がある。しかし、私はこの見方に組みしない。日本柔道は急に凋落したものではない。何年も前から世界の柔道のレベルは上がり、トップクラスの選手が実力の差は紙一重で競い合っており、スピードや筋力に勝る外国選手が彼ら流の戦術で立ち向かってくるとき、日本選手が勝つことは容易ではないという現実があったからだ。こうした現実を冷静・客観的に眺めずして「金メダルをいくつとる」という目標を掲げたり、国民がそれを過度に期待してしまうと、「日本柔道の凋落」という評価に繋がってしまう。問題は、日本柔道の指導部がこのような現実に対応するために充分な準備ができていたかである。実力伯仲の中で金メダルをとれば素晴らしいが、「金メダルでなければ意味がない」として過度に落胆・失望する姿勢もいかがと思われる。
 メダルの色や獲得数に拘泥したり、「凋落」と思い込んで過度に悲観的になったりするのではなく、現状を日本にとってどう有利に変えていくか、また、広い視野から柔道の本質的なものを踏まえてそれを世界の中でどう実現させていくかを考えて行動することが必要である。
 
2.ロンドン五輪におけるいくつかの問題点
(1)僅差による勝敗決定、頻繁な組み手争い
柔道試合の様相は日本国内と国際試合とで少し異なる。本年の日本選手権では一本で決まる試合が比較的多かったが、今回のオリンピックでは相手側の複数の「指導」で優勢勝ちをしたり、旗判定で勝敗が決まる試合が多すぎた。また、組み手争いで相当の時間を費やすこともしばしばあった。これらは柔道の試合をつまらないものにする。オリンピックということで多くの国民がテレビを見たが、普段柔道に接する機会が少ない人が「柔道の試合ってあまり面白くないね」と述べるのを聞いた。原因として、選手間の実力が伯仲していることもあろうが、現行のルールや試合運営方針なども大いに影響している。選手は、「待て」や「指導」が連発される現在のシステムの中で、それを意識した細かい戦術をとることになる。ルールを変えることによって試合内容が変わるのは、相手の帯から下への手による直接攻撃を禁じた最近のルール改正(この改正にも問題点は残るが)によってタックルの多いレスリング的柔道が姿を消したのことからも明らかである。現状でも「偽装的攻撃(しっかり相手を掴まずに効果のない技をかける)」や相手に組ませない行為に指導を与えるルールを作っているが、ロンドンでも依然として「シャモの喧嘩」みたいな頻繁な組み手争いや決定的な技のない僅差の勝敗決定が非常に多かった。さらに工夫してしっかり組ませる方法を考案していくべきであると考える。日本では一本をとる柔道を目指す傾向が強いし、上村春樹講道館長は常に「礼節を守り、正しく組んで、理に適った技で一本をとる柔道」を標榜している。国際的にもそうした考えを徹底させ、日本がその見地からルール改正や試合運営の改善に尽力することが重要である。
(2)審判の問題
 これまでも国際審判員の質の問題が指摘されてきたが、今回のオリンピックでは審判の問題が顕著に現れた。国際試合では五大陸から公平に審判員を参画させる必要性もあって、審判員の技量に差がある。柔道に関する理解力の不足に由来する誤判断も少なくないため、国際柔道連盟(IJF)では審判委員(ジュリー)を試合場の正面に配置しビデオで多方向から選手の動きを確認しながら畳の上の審判員を指導する制度を作った。その結果、主審の発した判断が審判委員によりしばしば変更されるケースが見られ、審判による判定の信頼性を損ねるようになった。主審が「技あり」と判定したものが審判委員からの指摘を受けて取り消され、「有効」に変更されたりする例であるが、ロンドンでは審判委員の介入による判定の変更があまりにも多かった。最も憂うべき事例は海老沼選手(66kg級)と韓国のチョ選手との準決勝戦で起こった。ご記憶の方が多いと思うが、この試合では海老沼が一旦「有効」を取ったが直後に審判委員の関与でそれが取り消された。結局決着がつかず旗判定となったが、驚くことに主審・副審の3人とも韓国の選手に旗を挙げた。審判自身が一旦「有効」と認めた技を放った海老沼をなぜ敗者にするのか全く理解に苦しむ。しかし、その判定は審判委員の関与で取り消され、あらためて旗判定をしたところ、今度は何と審判が3人とも海老沼を勝者とする判定を行った。いったい審判員はどういう理由で簡単に判断を変えたのか。外見的には審判員は審判委員の操り人形に見えて審判の権威は地に落ちた。判定の変更は選手にも気の毒である。審判委員とのやり取りを含め、この二転三転した経緯は一般の理解を得るべく公に説明されるべきである。
 審判の質の問題を補完するための審判委員による関与の制度は、結果的に審判員への尊敬や信頼感を損ない、試合の展開を不安定なものにする弊害を生んでいる。それを解決するには、畳の上の審判員が正面にいる審判委員の顔色をあまりにも気にする現在のシステムを改善すること、さらには審判員の資質向上のため徹底的な研修を進めることにより審判委員の関与を必要最小限にすることだ。筆者は、2年ほど前に来日中の審判委員に審判員の質の問題を指摘し、審判講習を組織的・徹底的に進めるべきことを非公式に述べたことがある。その委員は、必要性は認めたものの研修の徹底については予算の制約に言及した。しかし、巨額の費用がかかるわけでもなく、問題の重要性を考えるとき継続的に徹底した研修を実施する意思が必要だ。
(3)礼節の欠如
 礼節を重んじる姿勢は柔道における本質的で不可分の要素であるが、柔道が国際化する過程で競技志向、メダル志向の度合いも強まり、礼節を欠く行為が目立ってきている。勝利を追求することは重要であり、勝って喜ぶのは当然ではあるが、勝ち誇って派手にガッツポーズをしたり、畳の上を飛び回ることは礼節に反する。負けて落胆し暫く畳にうずくまったり寝たままでいる行為も同様であり、いずれも見苦しい。
柔道は世界中に普及したが、その背景に柔道が持つ礼節や精神性が人々を惹きつけている事実がある。国際試合がますます頻繁に華々しく行われるようになった今日でも、アジアやアフリカなどの小さな国や貧しい国を含め世界の隅々で老若男女が柔道を学んでいる。柔道衣や畳が不足する途上国の子供たちも、道場に正座して礼をし相互に相手に敬意を払う行動を実践している。これらの草の根のレベルの柔道修行者の中には、将来に夢を馳せてオリンピックなどを見守る者もいる。国際試合で活躍する選手こそ礼節において模範を垂れるべきである。柔道の創始国である我が日本の選手においてさえ、勝って喜びのあまり畳を去る時に礼をしなかった者や負けてしばらく畳に寝ている選手が見られたことは実に恥ずかしい。IJFでは最近礼節の励行に意を用いるようになったと見受けられるが、重要なのは日頃の練習において指導者が選手に厳しく礼節を徹底させる必要がある。

3.足りなかった世界の柔道への備え
 成績不振に終わった今回の日本選手の試合を見ると、わかっていた筈である外国選手の
身体能力や技の出し方、試合戦術への備えが十分できていなかったように思う。もちろん外国選手の研究はしていたであろうが、外国選手の強みを克服する練習は十分であったのだろうか。一例として寝技が挙げられる。筆者は、これまでの男子の強化練習において寝技が十分行われていないのではないかとの印象を抱いていた。今回のオリンピックでは寝技の練度の高い外国選手が目についた。その中で、穴井選手や上川選手があれほど簡単に抑えられたことに驚いた。上川選手は19秒で逃れたとはいえ、二人の日本の看板選手がほとんど抵抗なく抑え込まれたのは、寝技の訓練不足を物語っているのではないかと思われる。
 寝技とともに足技のさらなる修練も重要だ。この点ももちろん意識はされているが、男子選手にはまだ練熟度が足りないように見える。外国選手の筋力やスピードを恐れてしっかり組まない日本の選手も見られるが、足技の技量を高めれば自信も増し、しっかり組んで効果的な技をかけるチャンスも高まるであろう。
 今回の結果を充分に分析して、選手強化の考え方や方法について新しい発想で臨んでもらいたいものである。
 
4.国際柔道経営に主導性発揮を:受動姿勢から能動姿勢へ
日本柔道界は今回の結果を踏まえ何をすべきだろうか。
日本柔道の強さを復活させることはもちろん重要であるが、これまで金メダル至上主義、勝利至上主義に傾斜しすぎたように見える。金メダル獲得にこだわるだけではなく、柔道創始国としての責務を自覚して、本来のあるべき柔道を世界に実現させるよう行動することである。我々の考えでは、柔道の本来の良さとは理に適った技で一本をとる美しい柔道であり、修行を通じて心身の鍛錬を実践することである。柔道が世界の隅々まで浸透し国際試合が頻繁になることによって、柔道の様相も変わってきた。このことは避けられないことであるが、大事なことは、様相が変わっても柔道の本来の良さが維持されることである。我が柔道界は、これまで欧州主導で行われてきたルール改正や国際試合の運営方法に批判を持ちつつも不承不承これに従ってきたように思える。他者が作った枠組みの中で懸命にメダル獲得に努力してきたが、これからは受動姿勢から能動姿勢に転じ、ルール造りや試合運営を含めた国際柔道の経営に主導性を発揮する強い意志をもち、そのための態勢を作っていくことである。多くの国が柔道について蓄積した知見を持つ日本の発信に期待を抱いている。我が国の主張に沿う方向でのルール造りなどに成功すれば、本来の柔道を追求する日本選手が勝つ可能性を高めることも可能になる。
上村全柔連が唱える「礼節を守り、正しく組んで、理に適った技で一本をとる柔道」については国際的にもこの考えを持つ人々は多い。したがって、これを世界に向かって繰り返し発信しつつ、同じ考えを持つ国々との連携を強化するべきである。先ずは、オリンピック後にルール等の改正が検討されるはずのIJFに我が国がこの見地から積極的に一連の提案を行い多方面に発信すべきである。
人々を魅了する本来の美しい柔道を国際的に実現させ、その中で日本柔道の強さを発揮するためには、選手強化だけに力を注ぐのではなく、国際柔道の経営をリードする意思を持って行動することが必要である。日本の発言権を強化するためには、国内の人材を糾合したうえで国際的な連携態勢づくりが急務である。そのためには、日ごろからの各国柔道連盟との意思疎通を高めることが大事であり、さらには長期的視野に立ってIJFやアジア柔道連盟での理事・役員等の選挙にも大いに力を入れなければならない。また、柔道分野での小国や貧しい国への支援・協力も必要である。容易なことではないが意思があれば不可能ではない。選手強化に重点を置いてきた予算や人的資源の僅かな一部でもこうした分野にも向けるべきである。日本柔道界は新しい発想、新しい態勢で臨むべきであろう。