小川郷太郎の「日本と世界」

柔道における礼法: その国際的意義と大学教育への期待 外交官としての経験から

(外務省参与・三井住友海上顧問)小川郷太郎

gokagoshima1
写真は鹿屋体育大学提供

1.文化大国日本と武道
私は、1968年に外務省に入省後約40年にわたり外交官生活を送った。日本と外国での生活を交互に繰り返し、合計23年を7カ国で過ごしたことになる。7カ国とはフランス、フィリピン、旧ソ連、韓国、ホノルル、カンボジア、デンマークであるが、いずれの国でも柔道を行った。中でも柔道が盛んなフランスには2回勤務したが、私の若いころでもあったので、相当稽古をしたし地方での試合に出たこともある。
外国にいると、外から日本を客観的に眺めることができ、他国と比較した日本の特色も知ることができる。そうしてみた日本を私の感想としてひとくちで表現すれば、日本は誇り得るいろいろな特色を備えた大国である。その特色とは、比類なき非軍事・平和主義の外交、経済・技術のレベルの高さ、政府開発援助(ODA)による世界への貢献、そして偉大な文化の力である。
とりわけ凄いのは日本の文化の力である。能や歌舞伎、茶道などの伝統文化から寿司などの料理、漫画、アニメ、ファッション、ポップミュージックなどの生活文化、俳句や武道などの精神文化等々、いずれも世界中の人々を惹きつけてやまない。これほど多様な文化のジャンルで世界に知られ、多くの人々が関心を持つ文化を擁している国は他に類を見ない。自他ともに認める文化大国である誇り高いフランスでさえ、絵画や料理その他で日本から大きな影響を受けてきた。
数多い文化の中でも武道は、体育と精神性の両面を備えた日本独特のものである。あまたあるスポーツの中で精神性を主要な要素として備えたものは極めて少ないし、それゆえにこそ、世界の人々が武道に興味を持ち、また、それを実践している。経済発展のレベルや文化の異なる世界の国々で柔道を通じた交流を経験した私は、武道が世界の隅々に浸透していることを強く実感したが、日本人としてこのことをひそかに誇りに思う。

2.世界に浸透する柔道とその意義
実際、柔道などの日本の武道は世界中に浸透している。国際柔道連盟(IJF)には国連加盟国数より多い199の各国各地域の柔道団体が加盟している。フランスに私が最初に行ったのはいまから40年前だが、当時から全国どこを歩いても小さな村にさえ道場があったことに驚かされた。ポルポト時代に大量の国民が犠牲になり長い内戦を経たカンボジアのプノンペンでも、1990年代終盤には小さな粗末な道場で柔道が復活していた。北欧の小さな国デンマークで、地方の町に行っても様々な日本の武道を真剣に学ぶ人たちに出会ったことも嬉しい驚きだった。要するに、国の大小を問わず柔道が世界にいきわたっていて、老若男女が柔道に励んでいると言えるのだ。各国各地の道場に行くとしばしば嘉納治五郎師範の写真が正面にかかっているし、小さな子どもまでが、稽古の始めと終りに正座をして「センセイニ、レイ」という日本語の号令に合わせて座礼をしているのを見かけた。カンボジアの道場では、練習後子どもたちが一人ひとり日本人の青年海外協力隊員の先生の前に来て礼をして立ち去る礼儀正しさを見て感銘を受けた。
柔道には競技的側面と精神的側面があるが、外国で柔道を学ぶ大部分の人々はこの精神的側面にも関心を持って柔道と向き合う。子どもたちに礼儀を学ばせようというのも道場に子どもを連れてくる親の動機のひとつでもある。フランスでは特に精神面に関心を持つ柔道家が多いし、中にはそこに「帰依」している感じの人も知っている。最近、日本政府がイラクの警察官幹部を日本に呼んで、柔道を通じて警察官の士気や能力向上を図る研修を実施したことがある。私もそれに関わったが、日常的にテロと対峙する仕事をしているイラクの警察官にとって、試合や戦いの相手にも沈着に敬意を払って礼をするような柔道の礼節に新鮮な驚きを表明し、自国の警察官の訓練に是非柔道を活用したいと述べたことが印象に残っている。身体を鍛えるだけではない柔道のこうした精神的側面が、柔道に関心を持つ外国の人々の日本に対する敬意や親日感情を高めることにもなっていることを考えると、柔道は日本にとって大きな無形の資産であるということができよう。

3.今日の日本柔道の問題点
今日の日本柔道の問題について、三つ挙げたい。
第一に、国際化された柔道は、オリンピックや頻繁に行われるようになった世界選手権、さらにはランキング制導入などによって、競技的側面や勝敗を重視する傾向が強まった一方で、柔道のもう一つの重要な要素である礼儀・礼節や精神的側面が疎かになってきたという問題がある。試合が終えると礼を行う前に勝者が派手なガッツポーズで飛び跳ねたり、敗者はうずくまって動かないようなことが見られるようになった。敗者の前で勝者が自己を誇示することは相手への敬意を著しく欠くもので見苦しい。審判が促してもまだ畳にうずくまっている敗者は、基礎的な礼儀もできない者に見える。大変嘆かわしいのは、そのような態度は外国人選手だけでなく、最近では日本の選手にも見られるようになったことである。「家元」日本としては実に恥ずかしいことである。特に日本の男子は、試合でもなかなか勝てなくなったが、礼儀・礼節の面でも劣る場合が見られるようになった。強い選手が輩出するようになってきた女子の方が、勝っても負けても冷静で沈着な人が多い。
私が気になるもう一つの問題は、日本全体が国際試合でメダルを取ることに最大の努力を傾注しているように思われることである。これをとりあえず「メダル至上主義」と呼ぶことにしよう。もちろん私も日本人として、日本の選手が強くて金メダルを取ることを熱望している。しかし、メダルが取れないからと言って選手や監督などを批判する傾向は一層「メダル至上主義」に拍車をかけることになる。この主義の欠陥は、あまりに大きな精力をメダル獲得に傾けるため、他の重要な課題に対応する努力を減じてしまうことである。先ほど述べた礼節の衰退の問題もこうした傾向とは無縁ではないし、柔道のルールや試合運営に関する国際的動きに参画する余裕をなくすことにも繋がっているやに思われる。
私もフランスなどでずいぶん柔道の練習をしたが、体力や筋力などでは平均的に日本人よりフランス人の方が強いと感じた。ロシアや中央アジア、韓国などにも日本より体力的に優れた選手が多数いるのも事実だ。彼らが日本人に匹敵する練習量をこなし、適切な指導を受ければ日本人に勝っても何ら不思議ではない。因みに、テニス、ゴルフ、野球など柔道以外のスポーツでも発祥国の選手がいつも勝つわけではない。メダルを取れなくても過度に深刻になる必要はないと、あえて言いたい。メダル獲得に向けた選手の強化や情報収集の努力は大変重要であるが、それによって他の面で弊害が生ずるのは問題である。
今日の日本柔道界のもう一つの重要な問題は、柔道の国際的運営に参画する意思や行動が希薄なことである。柔道が世界に普及し国際試合が頻繁に行われる過程で、柔道のルールや試合の運営方法が相当変わってきた。体重別の試合が一般的になり、細かいポイントを設けて試合を決めさせる方法もとられ、また、試合中に頻繁に審判が「待て」をかけて試合の流れや技の連続を妨げる結果にもなったり、様々の理由で柔道が大きく変質したが、この過程で日本はほとんど実効的に影響力を行使してこなかった。柔道の望ましくない変質を日本の国内で嘆いても意味がない。日本は積極的に「正しい柔道」に向けて発言をし、国際的な柔道の経営に関わるべきであるが、いまだにそのような姿勢が見られないのは極めて残念である。

4.何をなすべきか
こうした柔道の諸問題に対して、日本としては何をなすべきか。
一本で勝てる選手を育てることやメダル獲得に向けた選手強化については様々な取組みが行われている。勿論これは続ける必要があるが、今後日本が新たに努力を強化すべきことは、嘉納師範が教えられた柔道の原点に戻り、礼儀、礼節を含めた精神面の教育としての柔道を国内外で実践せしめて行くことである。他国に強い選手が多数輩出している中で、日本が競技面で圧倒的な位置を占めていくことは容易ではない。他方で、礼節に関しては、真にこれを世界に一層徹底して普及させるには日本が中心にならなければできないことである。日本は試合で勝つことも大切だが、礼法の実践において世界の模範となることができるし、ならなければならない。
そのためには、世界に向けて礼節の重要さを積極的に発言し、さまざまな場を使ってこれを指導していく必要がある。国際試合などの機会を利用して礼儀・礼節に関するセミナーや講習会を繰り返し実施するイニシアチブをとることも考えられる。併せて、「正しい柔道」に向けたルール改正や礼節を伴う試合運営にリーダーシップをとるべきである。柔道に関しては、日本が権威を持って繰り返し主張すれば多くの国が傾聴するはずである。礼節を重んじる柔道の実践には、世界の柔道家に強い関心がある。柔道大国のフランスや、韓国、ロシアなどにも「正しい柔道」の復活を望む人は多い。先に述べたように、小国のデンマークや内戦を経た最貧国のカンボジアにも柔道の礼儀や精神性を学ぼうとしている人たちがいる。日本はこれを忘れてはならない。日本が率先して、国際交流、国際協力、国際連携のイニシアチブをとれば、こうした面で一緒に行動する国や人が出てくるだろう。

5.大学教育に期待すること
柔道をめぐるこのような状況の中で、大学はどのような役割を果たすべきかについて私の考えを述べてみたい。大学という教育機関であり、また体育を建学の目的としている鹿屋体育大学が果たしうる役割は重要であり、大きなものがあると思う。
(1)礼節の再構築への大学のリーダーシップ:国際化に伴って礼節の衰退が見られる今日の柔道界に対し、武道学科を擁する大学が、原点に返って礼節の重要性を説き、その実践や振興をはかるために指導力を発揮することを期待したい。その意味で、本日このようなテーマでセミナーを開いたことは高く評価される。
(2)「柔道ルネッサンス」への貢献:全柔連と講道館が柔道の精神面や礼節の復興を図るために始めた「柔道ルネッサンス」運動は、競技柔道に重きが置かれる現実の傾向の中でその重要性は極めて大きい。様々な努力はなされているが、全国の大学が連携して講道館・全柔連に協力してルネッサンス運動の活性化を図ることが望まれる。
(3)国際的人材の養成:頻繁に国際試合が行われ、「勝つこと」に関心が集中しがちな今日、柔道の教育的要素を慫慂し柔道の健全な発展を促すためには、日本が国際柔道の運営面で積極的に関与することが不可欠である。そのために、柔道の本質に関する知識や外国語による説得能力を持つ人材の養成を長期的に行っていく必要があるが、武道を教える大学でこそ、そのような役割を果たしうると考えられる。
(4)途上国柔道への教育協力、国際柔道協力を通じた礼節の再興:柔道が盛んな国においては、礼節の重要さについてそれなりの認識や実践活動もあろうが、高いレベルの指導者の少ない途上国では、柔道の発展の初期的段階にある場合も少なくないので、この面で我が国の大学が、途上国に対し講師派遣や日本での研修などの方法で支援していくことは、単に当該国の柔道の進展に資するだけでなく、世界の柔道の質の向上にも貢献するであろう。

全国に存在する大学にはこのような側面で果たしうる独特の役割があり、大学の特性を発揮し全柔連や講道館を支援することが可能であると考える。