小川郷太郎の「日本と世界」

私が、もし総理大臣だったら

はじめに

私が総理大臣になることはありえないのに、こんな題でお話しようとした趣旨は、最近の政治の漂流と日本の衰退状態を見るにつけ、皆様と改めて日本の「国のかたち」がどうあるべきかを考えてみたかったからである。
私は、これまで約40年の外務省勤務のうち、合計23年を政治制度や経済・文化の違う8つの国や地域(フランス、フィリピン、旧ソ連、韓国、ホノルル、カンボジア、デンマーク、リトアニア)に勤務し、出張ではアフリカ、中東、中南米諸国も回った。最近はイラクやアフガニスタンの復興支援を担当する大使も務めた。日本と外国を行き来する中で日本を外から見たり、様々な国との比較で、日本のことを考えてきた。そうした経験から今日の日本を見ると、様々な側面で国力が衰えてきて、国際社会の中での日本の地位は継続的に沈下を続けていることを感じている。最近になって政治はさらに混迷しているため、この傾向は加速していることが心配だ。
グローバル化で世界がどんどん動いているのに、日本は視野がどんどん内向きで狭くなった。外の動きを見ないために、日本はここ2~30年間大きな制度や考え方の変革を達成することなく、しばしば世界の動きに遅れたり、あるいは逆行する結果となっている。

衰退する日本

衰退する日本の側面はいろいろある。経済力では、今年中に日本は世界第2の経済大国の地位を中国に譲る見通しだ。単に国民総生産(GDP)で見た規模だけでなく質的な面でも衰えている。スイスの有力ビジネススクールのIMD(経営開発国際研究所)が5月に発表した「2010年世界競争力年鑑」によれば、政府や経済社会の効率性から見た日本の総合順位は58の国や地域の中で27位となり、前年の17位から急低下した。中国、韓国、台湾などにも抜かれたそうである。(5月20日付日経朝刊)
最近よく話題になるハブ空港やハブ港についても、日本の空港や港が旅客や貨物の運搬量の点で「ハブ」の役割を近隣の韓国や中国の空港や港に奪われたまま到底追いつかないでいる。成田空港開港が閣議決定されたのは1962年であるが、建設反対運動もあって開港にこぎつけたのは1978年だ。そしてやっと二本目の滑走路を開いたのは何と2009年である。これでは世界の動きに太刀打ちできないのは明白である。
最近よく話題として取り上げられる各国との自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)締結についても、日本が農業保護の立場に固執するあまり相手国との合意が難しく、農業保護政策を転換した韓国に大幅に遅れをとっている結果、日本企業が世界の市場で大きな不利益を被る状況になっている。財政赤字や少子高齢化が年金や介護制度にもたらす深刻な影響で社会保障制度は破綻に向かいつつあるのに、解決に必要な消費税引上げも政治的理由で議論が先送りされ何らの決定がないままである。この間財政赤字は膨大な規模になり2010年の累積債務の対GDP比の見通しは227.1%で、最近財政破綻で問題になったギリシャのそれ(133.2%)をはるかに上回る状況だ。
国民レベルでも、例えば学力低下はどんどん進んでいる。経済開発協力機構(OECD)が3年に1度行っている各国の15歳の生徒の国際学力比較調査によると、日本人生徒の数学の学力は2000年には第1位だったが、2006年には10位に落ち、読解力では同じ期間に8位から15位に、科学力では同じく第2位から6位に下がっている。2009年には少し盛り返したが、傾向としては低下気味である。最近発表された世界大学ランキングでも日本の大学の地位は継続的に下がってアジアの大学にも抜かれている。
国際社会での日本の存在感は明確に縮小している。地球温暖化や世界各地での紛争やテロの多発化、貧困の深刻化など地球的規模の問題への対応が重要な国際的課題となり先進国や中国、韓国などの各国が政府開発援助(ODA)を増額している。それなのに、主要国では日本だけがODAを大幅に減らしてきた結果、世界におけるこの分野における影響力を減退させるという戦略の過ちを犯している。資源に乏しく対外依存度の高い日本こそ、国際協調に努めなければならないのに、平和維持のための国際貢献からも身を引いている。
日本の国力の衰退を示す例は枚挙にいとまない。国力の衰退が日本に対する世界の注目度を下げていることなどもあって、東京における外国メディアのプレゼンスも大幅に縮小してきている。

問題の所在

何故、こういう現象が起きているのだろうか。その背景に触れてみたい。  まず、世界の大きな変化がある。1989年には旧ソ連邦が解体し、世界の冷戦構造が消滅した。これに伴って、世界秩序をめぐる課題は、主権国家間の紛争や対立から民族、宗教、テロ団体などを主体とする抗争の世界各地への拡散への対応に重点が移ってきた。グローバル化現象の急速な進展については説明を要しないが、その中で各国間の相互依存関係が一層深くなったことはしっかり念頭に置く必要がある。さらに、地球温暖化や感染症などの地球規模の諸問題が深刻化し、核兵器、国際テロ活動、海賊行為の拡散なども深刻化した。換言すれば、世界の構造変化が進む中で国際協調を必要とする課題が多くなってきたのである。
各国がこのような世界の大きな変化に対応しようとしている中で、我が日本は、政治も経済も国民もみな内向き姿勢を強めて視野狭窄に陥っている状態にある。国を主導すべき政治の責任が最も重い。現在の政党は選挙目当ての党利党略で行動するため、世界の変化に目をやらず漂流している。かつては世界の中で果敢に行動した日本企業も全体としてリスク回避姿勢を強めて世界の市場獲得競争に後れをとっている。マスコミは国内の事件などを不必要なほど詳細に、かつ繰り返し報道して、国民の目を内向きにさせている。海外留学を志す日本の若者の数は、高校レベルでも大学レベルでも顕著に下がっている。新興国やその他のアジア諸国では留学に意欲を持つ若者の数が増えているのと逆の現象が日本で起こっている。海外志向人材の減少は日本の発信力や交渉力の減退となり、国力の衰退にも繋がっている。日本全体が外に目を向けず、あるいは、世界の動きを横目で見ても行動しないために、世界に逆行する結果となっている。

日本の底力

日本はこのまま力が衰えて世界から取り残されてしまうのだろうか。否、私は現状には落胆しているものの、日本はまだ凄い底力を持っていて再生可能だと思っている。40年間の外交官生活の中で絶えず日本を内と外から眺めてきたが、日本は特色のある大国であり、いまでも世界の中で尊敬されていると確信している。
日本人はあまり認識していないが、私の見るところ日本の底力の要素には次のようなものがある。これらは世界の中でよく知られた「日本ブランド」とも言い得る。
まずは、平和外交がある。平和憲法のもとで非核・専守防衛政策を守り、国連などの国際場裏で核廃絶、軍縮・不拡散などの課題で多くのイニシアティブをとってきた。国連総会における究極的核廃絶決議では当初アメリカを含む全常任理事国に反対されながら多数国を糾合し決議採択にこぎつけた行動は良く知られている。
開発援助(ODA)に関しては、とくに1990年代の10年間、世界最大の援助国として全世界の途上国の開発を支援した。量的に援助大国だけでなく、多様なスキームを駆使して相手国と協調しながら実施する日本的アプローチは世界から高い評価を得た。最近ODA削減でその影響力はやや後退したものの、依然として相当の力を維持している。
経済力や高い先進的技術力レベルでも日本は世界の称賛を得ている。一定の分野ではなお世界超一流の科学技術力を保持している。
次に文化が凄い。日本の文化は、世界でも比類なき力を持っている。歌舞伎や能、浮世絵、生け花、茶道、俳句などの伝統文化から寿司、和食などの生活文化、さらにはポップ音楽、漫画・アニメの若者文化まで、世界の人々が日本に関心を持ち、親近感を抱いてくれる。文化大国とされるフランスにも日本は絵画や料理で影響を与えてきたほどである。これだけ広いジャンルで世界中の人々の関心を引きつける文化を持つ国は他にはない。日本の文化力の偉大さを日本人はもっと意識してよい。
広い意味で文化とも言えるが、日本人の誠実さ、謙虚さ、規律などの人間性や人的資質は世界の人々に強い好感をもたれている。最近私が従事した仕事を通じて、例えば、イラクやアフガニスタンなどの政治指導者も国民も、約束を守り誠実な日本人の資質を一様に極めて高く評価してくれ、とても親日的であることを知った。
これらは日本の貴重な資産である。日本が世界で力を発揮する重要な要素でもある。

頭を上げて外をみる

世界の中での日本の位置や勢いは最近低下してきたが、他方において日本はまだ凄い底力を備えている。大事なことは、内向きの姿勢を正して眼を外に向けて遠く四方を見ることである。気持ちとしては、宇宙に立って世界の動きを眺め、その中の日本を見る姿勢であって、それによって世界における日本の位置を知ることができる。
世界が変わっているのに日本の改革がほとんど進んでいないことにも気付くに違いない。日本の社会保障制度や税制の改革には外国の状況も参考になろう。農業や外国人労働者などの問題では国を開く必要性も見えるかもしれない。日本の周辺のアジア太平洋にも目を向け、朝鮮半島、中国、東南アジアなどの状況を注視して、そこで日本が何をしなければならないかを考えることも重要である。 視点を変えることによって見えるものは凄く違う。内向きでは外のことはわからない。

私がもし総理だったら:6つの政策

そこで、もし総理だったらと仮定して、いくつかの大きな政策の方向を述べてみたい。細かい政策の詰めは専門家や有識者に任せればよい。政治の指導者としては、全体を見渡して日本として進むべき方向を示し、妥協をしつつも揺るぐことなく信念を持って政策を実行することである。
(1)最大喫緊の課題は、医療・保健・年金制度の再構築である。政治家も国民の多数も、 そのためには消費税増税は欠かせいないことを知っている。無駄を省く努力は当然続けるが、少子高齢化社会を見通して適切な率に消費税を引き上げてこれを社会保障制度再構築のための目的税とすることを早急に宣言して、実現を目指す。その基本として「中負担、中福祉」を目標とするが、その場合の新しい消費税率は10%ないし12.5%ぐらいとなることが見込まれる。
(2)少子高齢化は今後の日本に大きな影響を与える。高齢化は避けられない現象だが、少子化は政策によって変更可能である。少子化対策として、次の政策を実施する。これには私が在勤したデンマークの制度が一定の範囲で参考になる。   
(イ)出産・育児期にある勤労者男女に対し、定時退社及び産休・育児休暇取得を徹底 させる。立法措置を講じて職場がこれを奨励するようにする。特に男性職員が十全な 育児休暇をとり出産する妻の職場維持を助けない限り少子化対策にはなりえない。こ れは少子化対策として子供手当てより遙かに有効と考える。さらに、育児施設の拡充 及び「育児パパ・ママ」制度も普及させる。  
(ロ)生活の在り方(ワークライフバランス)を変えることが重要である、そのために 職場の組織や決定過程を大幅に簡素化、合理化する措置を講じる。これは仕事に対す る文化的要素を含むので短期間では実現できないが、長期的目標にする。今日の日本 の仕事の仕方は、一般論として、一つの業務に多くの人がかかり過ぎることが効率を 下げている面が強い。
(3)経済を活性化して成長を高める政策をとる。すでに現政権も一部検討しているが、 より幅広い政策をスピード感を持って早期に実行する必要がある。
(イ)税制改革(法人税減税、贈与税改革)によって企業の活動を活性化するともに遊 休資金を成長のために活用する。
(ロ)労働市場を柔軟化し活性化する。特に主婦等の労働市場参入及び看護・介護など 労働供給力不足の分野で外国人労働者の参入増大の諸施策をとる。同時に職種間移動 促進策、職業再訓練策を拡充する。
(ハ)農業の市場開放、大規模化、輸出産業化を促進する。
(ニ)自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)締結を促進し外資導入増大を計 る。これらによって国際貿易投資の促進を目指す。
(ホ)アジア全体を内需とみなして、インフラ輸出、農業、料理などの「輸出化」、中小 企業の海外進出支援等を講じる。新たな成長分野を幅広く探すことが重要。
(4)新たな教育改革を進める。その主眼は国際的人材育成であり、海外留学、あるいは 若者の海外体験(NGO、ボランティア活動)奨励策をとるとともに、帰国後の就職を支援する。企業等をして外国生活経験者を活用せしめる措置も重要。
(5)外交政策の基軸強化。これには、とくに日米同盟の堅持・強化、「東アジア共同体」 構築において協調的で主導的な役割を果たすことが含まれる。これからの日本にとって、 強大化しているが我が国とも相互依存関係が益々深まっている中国と適切な形で協調関係を構築することが極めて重要な課題である。そのためにも新たな歴史問題克服の努力を行い、中国、韓国等の近隣諸国との信頼関係を確実にする政策をとる。歴史問題克服は近隣国との関係だけでなく、第三国との関係でも重要であるが、このためには、1995年の村山総理談話の精神に立って誠実に行動することが必要だ。  なお、東アジア共同体構築に当たっては、米国と適切に連携することが重要である。
(6)国際貢献策を強化する。第一に、大幅に削減されてきた「ODA」の概念を止揚し て新たな国の予算として「国際協力費」を創設する。国際協力費には、途上国への開発 援助だけでなく、日本の得意な科学技術や文化の面での協力のための費用も含むことと し、その規模は当分の間GDPの0.5%(因みにこれは防衛費の約半分である)とするが、 将来景気が回復し、財政赤字が減少した場合には1%に引き上げることを目指す。この 費用は対外依存度の高い我が国の生存に必要な経費であると認識しなければならない。  
さらに、我が国の平和的な国際貢献を高めるために安保理常任理事国入りを実現する。 日本の常任理事国入りは、現在核兵器保有国で独占されている安保理常任理事国体制に 軍縮や不拡散などの平和外交を重視する新たな息吹を与えることができる。これによっ て平和構築への日本の貢献がしやすくなる。平和への貢献は日本のためでもあり、また 日本の国家としての徳性を高める所以でもある。

むすび

日本が現在の状況から脱却するためには、結局政治主導が不可欠である。政治指導者が、選挙目当ての党利党略の行動をやめ、視野狭窄状態から脱却するべきである。政治も、マスコミも、国民も世界を見て「何が日本にとって大事か」の視点から行動することが求められる。その基本的な視点は、「世界の中の日本」でなければならない。