小川郷太郎の「日本と世界」

日本柔道界の新しいトップリーダー上村春樹氏、柔道について語る

4月1日、日本柔道界のトップリーダーが交代した。柔道創始者である嘉納治五郎師範の孫にあたる嘉納行光氏が講道館長と全日本柔道連盟会長の座を退き、新たに上村春樹氏がこのふたつの要職に就任した。柔道創始後約130年が経つが、嘉納家以外の者が日本柔道界の最高ポストに就くのは初めてで、内外の注目を浴びている。上村氏は、1951年生まれ。1973年及び1975年に全日本柔道選手権で優勝し、1975年ウィーン世界柔道選手権及び1976年モントリオール五輪の無差別で金メダルを獲得している。 現在、国際柔道連盟(IJF)理事。
上村春樹氏に今後の抱負を聴いた。

柔道の本質はひとつ:柔道に関する考え方の明確化が重要

(問:新しい指導者となっていま考えていることは何ですか。)
上村氏:柔道が国際的に広く普及して、柔道はもう日本だけの文化ではなく、世界に根ざした柔道という文化になってきている。その中でいろいろな問題も生じている。また、「柔道がおもしろくなくなってきている」との批判もよく聞かれる。試合で投技の判定については背中を畳についた“かたち”だけを捉えて「一本」とする傾向にあるが、本来「一本」とは相当の勢いをもって相手に衝撃(ダメージ)を与えるように投げることである。より広い問題として、柔道とは何か、柔道修行の目的は何か、などについても明確にされていなかったこ ともあり、簡単にまとめて欲しいとの依頼が諸外国からあった。一応の回答は示したものの、今後さらに議論を重ねてしっかりしたものにまとめていくことが重要であり、柔道に関する考え方の明確化を図りたい。 柔道が世界に広まっても、柔道の本質はひとつである。世界に拡がった柔道が長い年月をかけてそれぞれの国・地域でカスタマイズされながら発展してきた。いろいろな考え方が出るのは当然であるし、表面的な変化に異論を唱えることはない。例えば試合場の畳の色を変えようとの試みもあるが、柔道がより良く発展するためにということであれば試してみる価値はあると思う。変わってはいけない部分は何か、柔道とは何かについて議論を重ね明確にすることによって、柔道の本質の理解を求めていきたい。柔道を本来あるべき姿で後世に伝えていくことが自分の責務であると考えている。

日本柔道界の問題には、子供たちのへの指導など長期的取り組みが必要

(問:日本国内でも柔道に関する様々な問題点が指摘されています。
柔道の内容にかかることや特に男子が国際試合でなかなか勝てなくなっていることなどがありますが、日本の指導者としてそれらにどのように対応していくつもりですか。)
上村氏:日本国内でも「柔道がおもしろくなくなってきている。」との声がある。“礼法を守り、正しく組んで、理にかなった技で一本を取る柔道”を実践するためには、嘉納師範の教えられたところに従って、練習の量と質を充実させて技の完成度を高め、強くなることはもとより、教育としての柔道という側面をもしっかり意識することが重要である。当たり前のことを良く考えてしっかり修行することである。そのためには短期的、中・長期的な様々な取り組みが必要である。 短期的には、強い選手を育てる必要がある。強くないと国内でも柔道に対する支持が得られない。選手に様々な国際試合を経験させ、海外での生活にも慣れさせたい。日本で基礎をつくり、海外で実践を積ませることが重要だ。 中・長期的には、次世代を担う人づくりをしなければ将来がない。人づくりは多岐にわたる。子供たちへの指導は極めて重要であり、そのために優れた指導者の養成が不可欠。近年、少子化が進み、子供たちを他のスポーツと取り合いする傾向にあるが、大事なことは、柔道の競技的側面だけでなく、柔道を通して行う教育的側面である。平成24年度から、中学校で柔道などの武道が必須科目になるが、子供達への指導では、“言って聞かせ、やって見せること”が重要である。いずれにせよ“本物の柔道”を指導できる指導者をきちんと育てる必要があることから、学校教育、初心者指導、少年指導、女子選手の育成等それぞれに専門性を持った指導者を養成するプロジェクトを立ち上げた。さらに、国際的に活動できる人材を育成することも急務である。また、IJFでは形の世界選手権を開催するなど形が国際的に普及を見せていることから、形に精通した指導者も必要とされている。このように人づくりは多岐にわたるので、日本の柔道界が一丸となって取り組みを強化すべきである
(問:相当時間のかかる息の長い努力が必要ですね。)
上村氏:その通りであるが、最近は都道府県や学校など国内の各地で動きが出てきている。それをどこかでまとめてくことが必要であり、この観点から全柔連では具体策の一つとして、3月にナショナル・トレーニング・センターで全国から若手の指導者を集めて指導者フォーラムを開催した。フォーラムでは今後の方針等について議論がなされ、良い成果が得られたと思っているので、今後はこれを各分野に分けて具体策を立てていく所存である。  子供たちに柔道に関心を持ってもらうためには、“本物の柔道”に触れさせることが重要だ。たとえば、技の一本の凄さを目の前で見てもらって感得させること。同時に、練習を通じて相手に感謝や敬意の気持ちを持つことや「精力善用」「自他共栄」についても分かりやすく教えなければならない。また、正しい礼の仕方などの見本を見せてもらうようにしたい。これらについては“柔道を知っている人”ではなくて、“本物の柔道を見せられる人”が指導にあたるべきであり、これを高段者の方々にお願いしたい。

「本物の柔道」実現に向けて国際的に議論を高めることが必要だ

(問:国際化した柔道をどのように見ていますか。)
上村氏:柔道は世界に広まってはいるが、「柔道の本質」となると隅々まで浸透しているとはいえない。ルールを細分化したこともあって、腰を曲げて正しく組もうとしなかったり、いきなり足を取ることも多くなり、試合が面白くなくなったという指摘がある。やはり、互いに組み合って理にかなった技をかけあって欲しい。この点では国際的に認識は同じであり、勝敗の要素とされてきた「効果」の廃止に異論は少なかった。日本としても「日本だから」「外国だから」と意識して考えるのではなく、他の人を納得させられる理論武装をすることが重要である。 自分の経験でも、国際的な場で「技あり」の廃止や「抑込技」における「一本」の時間を20秒にするか否かで議論に加わったことがある。「抑込技」では抑え込まれた相手が徹底的に逃げようと努力した上でそれが不可能であると諦めた状態になるまでには30秒はかかる、20秒ではまだ精神的にも諦めた状態にはならない旨を説明し、「一本」の理解を求めた。この他にも技術的な課題、精神的な認識の違いなど個々の問題点について日本国内で徹底的に議論して世界にぶつけていかなければならない。 日本人の中には、日本の立場のみを主張する人がいる。一方で外国人の中でも真剣に柔道の将来を考えている人がいる。柔道人は国の内外を区別することなく一致協力すべきである。 試合の直後、勝者が過度に「勝ち」をアピールしたり、コーチや関係者に抱きついたりすることの是非にも議論があった。また、コーチボックスからのコーチの言動が問題となってコーチボックスが廃止されるようにもなった。何が必要で、何が求められているのか大いに議論し、お互いに理解すべきである。 若い人には、積極的に海外に出て国際的な感覚を養ってもらいたい。今後は、外国で発信されたことを理解し受け止めた上で議論することが重要である。すぐにはできないかもしれないが、日本の柔道界としてはそういう人材を養成する仕組みを考えていきたい。例えば、フランスは50数万人の柔道登録人口を擁しているが、競技者のみならず指導者育成にも力を入れており、日本で研究や研修を頻繁に行っている。日本としてもフランスのやり方を学ぶ点もあることから、これまでの“教える立場”での講師派遣に加えて、若い指導者をフランスなどに“教わる立場”として派遣して、研修を受講させることを考えている。

礼法を守り、正しく組んで、理にかなった技で「一本」を取ることを心掛けるべきだ

(問:新しい日本のリーダーとして海外の柔道家にメッセージをいただきたい。)
上村氏:柔道の試合においては「礼法を守り、正しく組むこと、そして理にかなった技で『一本』を取る」ことを目指して欲しい。また、柔道を学ぶことによって、相手や友人に感謝する気持ちを持てるようになって欲しい。そういう気持ちで世界の人々が一緒になって柔道を発展させていくことを望んでいる。日本としても、海外からの修行者を受け入れて日本の柔道を学んでもらうという受け身の姿勢を改め、世界の人々と一緒になって本物の柔道を作っていくために努力してゆく姿勢が必要である。日本には柔道の技術、知識、考え方などを解りやすく世界に発信することが求められている。  私はこのために大いに努力する。謙虚さも必要だが正しいと思うことは大いに主張するし、柔道を後世に本来あるべき姿で伝えるためには決して妥協しないつもりだ。