小川郷太郎の「日本と世界」

山口香:「柔道を立ち止まって考える役割を担いたい」

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日本の女子柔道は今日世界で注目されるほどの強さを発揮するようになったが、日本における女子柔道の草分けである山口香氏(筑波大学準教授、1984年世界選手権金メダリスト(52kg級)、1988年ソウル・オリンピック銅メダリスト)は、現在子供を含めた柔道の指導に当たっているほか、柔道の現状に危機感を抱き、柔道の本質に関して様々な見地から論陣を張っている。柔道を真に良いものにしようとの情熱には敬意を表するものがある。  
「柔道フォーラム」ともいうべき同氏のブログが最近終了した。その背景を聞くとともに柔道に関する氏の最近の思いを尋ねた。3月11日の東日本大震災を契機に考えたのは、危機に面して冷静に対処する姿勢を養うことのできる柔道修行の価値だそうである。世界にも目を向け「柔道を立ち止まって考える役割を担いたい」と語ったのが印象的だ。 以下はインタビューの全容である。 (2011年4月、 小川郷太郎)

(これまで山口さんのブログ「柔道を考える」は幅広い問題に触れ、内容は刺激的でもあり、興味深く拝読していました。多くの読者がいたようですが、最近やや唐突に終了したのは残念です。やめた背景は何ですか。)

このブログを通じて、柔道とは何かというものを私なりに真剣に考えそれを発信することにより、柔道に関心を持つ人にも考えてもらいたいと思ってきました。
最近の柔道に関する内外の諸問題に触れ、時には国際柔道連盟(IJF)の新しい運営方針や講道館と全柔連との関係に関する批判なども展開しました。多くの人々に読んでいただき、中には「同感だ」という声も多くありました。特定の人の名前も挙げて批判したこともありました。講道館や全柔連において若干の反発はありましたが、そのために私が難しい局面に立たされたことがさほどあったわけではありません。何とか柔道をよくしたいとの気持ちで書いたことはある程度分かってもらったと期待しています。
2年あまり発信を続けたことにより、私の考えを知らせるうえでおおむね流れができたと感じています。問題点を指摘しても、現実にはそれがすぐに改善されるわけでないこともわかっています。最近、私の論調が少し甘くなったと言われることがありますが、むやみに批判を続けて戦っても変化する見通しがあるわけではありませんし、賛否両論で非難合戦になって柔道自体の安定性が損なわれる危険もあります。
柔道に関する様々な情報が地方にも伝わったとして喜んでくれる人もいました。ある程度流れを作れたこの時点でいったん閉じて、また将来違った形で柔道を論じる機会があればやりたいと考えています。

(山口さんの指摘には私も多くの点で同感ですが、柔道の本質的な点について提言しても、それを国際的な場を含めて実現していくのは実に難しいですね。どうしたらいいでしょう。)

柔道に関する個別の問題については様々な考えもあり、答えが必ずしも出ないこともあります。でも重要な問題点についてはしっかり発言して行動することが大事だと思います。
私が指摘した問題点について関係の方々にも考えてもらえる時期が来ることを望んでいます。IJFのビゼール会長は明確な考えを持った人のようですのですぐに変化あるとは思いませんが、世界の柔道指導者や愛好家の間で柔道をよくするにはどうするかを考えて、意見を表明し、行動していくことが大切だと考えます。
最近アフリカや中東で政治的に変化の動きができていますが、行動すれば一時の混乱はあってもそれが変化に繋がっていくことを世界に示したように思います。

(最近の柔道について、どういう点が大きな問題だと考えていますか。)

まず、柔道は誰のためのものかという姿勢が必要です。選手のことは選手の立場に 立って考えなければならないし、また、選手以外に柔道を愛好する非常に多くの人々のことも考えなければなりません。
例えば選手については、ランキング制度のもとでの国際試合が多過ぎて、選手たちは頻繁に試合に出ることを余儀なくされ、疲弊してしまうことが問題です。多くのお金を使って選手を強化しても、選手が怪我を治す時間もなく摩耗してしまいます。今のシステムでは選手にとっても最高のコンディションで臨むことが難しく、試合で最高のパフォーマンスが見られないことは長い目でみて柔道にもマイナスです。このような状況を改善する仕組みを作っていかなければなりません。
そのために選手の意見を吸い上げるシステムができているか疑問です。IJFにアスリート委員会がありますが、委員は選手の声を十分吸い上げているかが問われます。各地区の代表である委員には、自分の意見よりも地域、大陸の選手の声を吸い上げて委員会で反映させてほしいものです。各委員が意見を集められるシステムも大事です。

(問題点は多くの人に認識されながらもなかなか改善しない現実があります。何か良い方法はありますか。 )

世界の政財界のなかで柔道に関心のある重鎮のような方がいると思いますが、そういう人が問題点に関して声を上げるとか、あるいは大きな大会の機会に柔道の諸問題に関するシンポジウムを開くことなどが考えらえます。日本で柔道の本質にかかわる国際的な議論をしてもよいかもしれません。これらは、もちろんIJFのビゼール会長にも傾聴してもらえるような形でなければなりません。
著名なトップ・アスリートが意見を表明することは有効ですが、批判的な発言をして嫌われることを避けようとするかもしれません。フランスのような柔道の盛んな国とも協力して、誰かが上手な形でそのような機会の設定を仕掛けていく工夫が大事です。
ロンドン・オリンピックまでに大きな変化を期待することは難しいと思いますが、ロンドン後のことを考えて今動いていくことが肝心です。

(確かに、国際試合が多すぎて選手に疲労感があることについて、日本内外で非常に多くの人が問題だと考えています。選手以外に関して重要な問題はありますか。)    

やはり、柔道の本質が少しないがしろにされているという問題があると思います。先日の日本での大震災は本当に凄かったので、多くの人が「生きるか死ぬか」と感じたと思います。私も瞬間的に、死に直面した時にどう立ち向かわなければならないかが頭をよぎりました。    
震災のあと、生きる、死ぬということを柔道との関係でどう捉えるかについて考え、修行者が柔道から何を学びうるかについても考えました。    
いろいろ考えると、古来の武道の要諦はまさに、死を前にしたときどう立ち向かうかを真髄としています。死に直面するような重大な局面に出くわしたとき、冷静で的確な判断ができるかについて考えると、柔道はそうした訓練に役立つのではないかと思います。何か大きな災害が起きるとき、子供は親と一緒にいるとは限りません。一人で立ち向かわねばならない時の心の持ち方に柔道の訓練は役立つのではないかと思うのです。危機に臨んだ際、自分が助かりたいと思うのは当然ですが、他人も助けるということも忘れてはなりません。「自他共栄」の精神です。
しかし、非常時にでも冷静に対処できるような訓練を日頃柔道で実践しているだろうか、ということを思い返す必要があります。最近は勝つための柔道という側面が強くなってもいますが、何のために柔道をするか、あるいは柔道鍛錬の価値について、震災は、柔道の指導者が改めて考えるための良い機会を提供しているのではないかと思います。
柔道の本質にかかわる問題でもありますが、体重無差別で試合をした場合、小さい人は大きい相手を前にしてひるんだり、逃げようとするかもしれません。しかし、大きなものに立ち向かう気力を身につけていれば、積極的に組んでいくことが可能です。柔道はそういう姿勢を身につけさせることもできます。柔道鍛錬の持つそのような価値を、世界中で柔道を修行する人にもう一度考えてもらいたいし、そのような価値を伝えていきたいと、改めて思いました。
震災で体験したこの思いを、自分の今後の柔道の指導でも生かしていきたい、世界の指導者にもこうした考えを共有してもらいたいと思います。
昨年の東京での世界選手権の無差別級試合の決勝において、旗判定で敗れたフランスのリネール選手は礼をしませんでした。彼は相手への敬意や礼節を残念ながら実践しなかったのです。
リネールのような優秀な選手はチャンピオンとして、礼節という柔道の持つ重要な要素を身につけていなければなりません。柔道では単に技術を身につければいいわけではありません。強いだけでよければ動物と同じです。柔道家は人間としての知識や教養、人間性などの質的側面も磨く必要あります。チャンピオンは、それだけで柔道を学ぶ他の人々に模範としてのメッセージを発信する立場にあります。だから、勝った選手が真の王者として尊敬されるためのチャンピオン教育も必要でしょう。
柔道修行の意味や価値を理解し、世界の人がそれを共有していくことこそ、柔道のさらなる発展につながっていくと信じています。そのためにIJFがやるべきこと、全柔連が果たすべき役割は何であるのか。ビゼール会長に変わってから、柔道はずっと走り続けてきたように見えます。走り続ける人も重要ですが、立ち止まったり、振り返ったりする人も必要な気がします。そんな役割の一端を私が担うことができればと考えています。